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漠然と見てても世界は変わらない『観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか』

一流のクリエイターになりたいと願って早3265年。みじんこはついに、こんな本に出会いました。一流のクリエイターと自分は何が違うのか。今からでも一流になれるのか。

よさげなところをメモしてみました。

観察は、問いと仮説の無限ループを生み出すもので、その無限ループ自体が楽しいものであるため、マンガをはじめとする様々な創作の源になりえる。観測は、観測自体が目的になるが、観察は見つけてしまったがゆえに解きたくなる「問い」とセットでモチベーションになりえるのだ。

観察は問いと仮説の無限ループ!?
観察っていうと、ただ見るだけみたいな気がしてしまいますが、それだと「見ている」だけで察してはいないんでしょうね。観察というのは、考えながら見るということ。世界に疑問を投げかける姿勢のことかもしれません。

怒りというのは、大切なものがおびやかされることに注意が向いている状態。自分の価値観が否定されるときに怒りはわきやすい。悲しみは「ないもの」に注意が向いている状態。

連続起業家の家入さんが怒りを原動力に、みたいなことを言ってた気がするけど、何かに対して強く怒りたくなった時は、そこに自分の大事な価値観があるってことだよね、きっと。

観察を阻害するといったとき、
①認知バイアス(=脳)
②身体と感情(=感覚器官)
③コンテクスト(=時空間)
がバグを起こしやすいと意識しているだけで、観察の精度は変わってくる。

偏見が自分の観察を阻害するっていうのは、めちゃくちゃ分かる。偏見がある時点で、自分がフラットに観察できてないってことだけど、自分の偏見ってなかなか自分では発見しにくい。それくらい自分に融合しちゃってるから。

観察(思考)サイクル
仮説(起点)→観察→問い→仮説
仮説を立てると、仮説を検証したいという欲望を伴った観察のサイクルが始まる。

仮説ありきの観察が大事という話。確かに「よく見よう!」みたいなことを思っていても、ほとんど見えてない気がする。もう少しこのサイクルの解像度を上げるとすると、
自分のWANT→叶えるための仮説→観察→問い→仮説
かもしれない。なんとなく仮説を立てるより、叶えたいことが先にあるといいと思った理由は、自分が叶えたいことを叶えるためという理由があったほうが、能動的な姿勢になれそうだからです。

行動サイクル
振り返り(起点)→計画→実行→振り返り
計画を起点にすると、実行の熱量が上がらず計画倒れしがち。振り返りを起点にすると、熱量が高まる。

計画から始めると確かに、計画を密につくったところでやめちゃうかも。ただ、計画は自分に相性が悪いので、
WANT→実行→振り返り→改善→実行→振り返り→→→WANT達成
がいいのかもしれない。振り返ってすぐ忘れる、という事態が現在発生している気がするので。

仮説を作るには、何らかの立脚点が必要になる。
①ディスクリプションによって立ち上がった言語
②定性的なデータ
③定量的なデータ
④型
この4つが立脚点になって仮説が生まれる。自分の外を観察して仮説を作り、観察を繰り返す。

仮説がずれていると、そもそも適切なWANTにたどり着けない可能性があるけど、自分の知らな過ぎるジャンルについては、仮説が適切じゃない可能性も多分にある。

仮説を立てる前にそもそも情報の量が必要になると思っていて、量が集まると「これがきそうだな」みたいな仮説が立てられるようになる。なので、興味を持ったことについては、まず徹底的に調べる、というのが自分の性格には合ってる気がする。

今の自分について、振り返るとすると
・量よりも質を重視したほうがいいかも(量を出しまくるフェーズは終わり)
・質にこだわるために、具体的な改善を実行したほうがよさげ。(振り返るだけで忘れて身についてない、が多い)

一度にいろいろ改善しようとしたり、いろんなことを取りに行こうとしたりして、何もできてない説はあるので、一番取りに行きたいものの優先度を明確にした方がいい気がする。

今日の参考図書はこちらでした!

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