未来に子どもをつくることについて考えてみた
子どもを産むのか産まないのか。あるいは産みたいのか産みたくないのか。女性として産まれていると、どうしてもこの問題が人生のどこかでやってくる。
昔の自分は、なんとなく自分の気持ちに関係なく子どもは「産むものだ」と思っていた。ただ、冷静に自分の性格を考えてみると、自分自身に時間を使いたい気持ちが強すぎて、たぶん産んだとしても、ちゃんと育てられない気がしている。
でも、産みたいとするならいつまでにつくらなければ、みたいな年齢の制約のことも考えてしまう。
しかし、最近は考え方が変わってきた。
子どもは未来に「つくれば」いいんじゃないか
近年の科学技術の発展を考えると、20年後くらいにはヒトの体細胞をかけ合わせて子どもをつくることが実用化しているんじゃないかという気がしている(倫理面のうんぬんはおいておいて)。
私は自分が動けるうちには、自分自身であちこちいっていろんな世界を見ておきたい。子どもを育てるとしたら、どちらかというと老後に育てたい。つまり、自分が割とひとところにいることを好むような年齢になってから子どもを育てたいということ。
ただ、60歳になってから子どもが産めるかというと、それは現実的にそこそこ、難しそう(大変そう)とも思う。でも、科学の発展によって体細胞から受精卵がつくれ、代理母さんにお願いして出産してもらい、育てるのに慣れたシングルマザーさんたちと一緒にコミュニティ的に育てるとしたら、自分にも育てられるかもしれない。
体細胞からつくることをせずに、単に養子をもらって育てるとかでもいいかもしれない。…そこまでして子どもが欲しいと思っているかどうかは、未来になってみないと分からない。
選択肢が「ある」ことを考えると気持ちが楽になるということ
「この体細胞から自分の子どもがつくれるんじゃないか」ということを思いつくまで、子どもは産みたいのか産みたくないのか、後で後悔しないのか議論が自分の中でたまに頭をもたげてしまい、けっこう面倒くさかった。取り返しがつかない選択をしてしまったらどうしようという気持ちがどこかにあった。
実際に技術を使うかどうかはともかく「何歳になっても体細胞から子どもをつくることができそうだ」というアイデアがあるだけで、いつどんな選択でもできる、という気持ちが生まれ、それが自分の心を楽にしてくれた。
選択したくない時に選択を迫られるのは、ちょっとストレスになる。いつでも選択したい時に選択すればいい、と思えることは、それだけで気持ちを楽にする。
科学はそういう「選択の可能性」を提示してくれるだけで、十分にヒトの幸福に貢献しているようだ。
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