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アートやマンガや医療やデザインや、そもそもジャンルを横断したい場合には言葉の設定が必要なのかも

最近、医療系のマンガをよく描いてるんですが、この背景として、自分がやろうとしてる現代アートのコンセプトを1つのアート作品として伝えるのが難しいので、いったん物語でやってみようかなっていうのがあったりします。

作品化するのが難しいというのは、単純に自分が未熟だからなんですが、さんざん試行錯誤した挙句、いったん物語にしながら整理したほうがいいかもしれない、というのが今の段階なんです。

でも、表現方法を大きく変えるっていうのは、日本だと本当に難しいんだなって思うことがあります。というのも、マンガっていう表現手段をやり始めると、「マンガ家になりたいんですね!」「アートをやってると思ってたのにがっかり」みたいな言葉が飛んでくることがあるからです。

アーティストはアート(っぽく見えること)をやらないといけない、みたいな感じです。ロサンゼルスに住んでるアーティストさんに、昔、こんなことを言われました。「日本のアーティストってどうして一つの表現方法しかしないのかしら」と。その人はコンピューターの基盤と植物を組み合わせた作品をつくっていたのですが、陶芸とか、他のジャンルもやってたんですね。

もちろん、一つのジャンルを極めていくだけでも、とても時間がかかるし大変なことだから、たくさん手を出せないというのもあると思います。

アートの世界では、デザインっぽいっていうのは、あんまりよくない意味で使われるように思うのです。イラストっぽいっていうのも同じくですね。現代アートの表現としてマンガをやりますっていうのも、アート界隈で味方になってくれる人がいきなり減りそうな予感がします。

そもそも芸術系の助成金申請項目に「マンガ」ってなくて、マンガは「美術」の範囲に入るんですが、なんかマンガって美術ってカテゴライズされるのがしっくりこない気がしませんか。あえて別の言葉にするとしたら、小説美術みたいな感じでしょうか。物語が絵で繋がってる感じじゃないですか?

でも、「マンガ」っていうジャンルが日本のアートの中で、ビジュアルアート、油絵、平面、なんでもいいんですが、ジャンルとして名指しされることってあんまりない気がするんです。近いとしたらコミックアートですかね。一枚絵だったらイラストって呼ばれるかもしれない。

マンガっていうものが、そこまでアートとして認識されていないっていうのもあるんじゃないかと思いつつ、じゃあアートってどこからどこまでなのかって言われたら、境界線をはっきり区切れる人はいないはず。

頭2つください

 - タイトル「頭ふたつください」「はいよっ」

何がイラストなのか、何がデザインなのかっていうのは、それらの言葉が批判的な意味として使われている時には、実は意識されていないんじゃないかって思うのです。

たぶん、「イラストっぽい絵」って言われるような作品が、アートとして高額になっていってる昨今なんですが、これがもっと浸透したら、もしかしたらイラストっていう概念とアートっていう概念はそもそも混ざってしまうかもしれないですよね。あるいは、そうなったものを認識するワードを誰かが生み出して浸透させるかもしれない。

言葉がないと人は概念を理解できないし、概念を共有することもできません。

分からないことは不安になるので、既知の概念(=言葉)をベースに考えることになります。そうすると、すでにある言葉に付随する概念も一緒に言葉についてきてしまう。

現代アートとしてマンガをやる場合、とりあえず現代マンガとかアートマンガとか言っておくとか、なんかちょっと違う感みたいなのを出すみたいなことをしないと、そもそも既知の概念に巻き取られてしまう部分がありそうです。

逆に言えば、概念を背負うほど育て上げられた「言葉」には力があるし、強制的に想像させる力があるんだなぁっていうのをなんとなく思ったのでメモしておきました。

▼先輩のアーティストさんのアドバイスを受けて描き始めた近作。

足がたくさん獲れたわ

- タイトル「今年は足がたくさん採れたわ」

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