見出し画像

5月の木曜日「爪と爪切り」

 ふとトラックパッドを指で操作しいてると、爪が伸びていることが気になった。昨日の夜までは全然気にならなかったのに、不思議なものだと思った。急に何ミリも伸びたわけでもあるまいし、たった十数時間、せいぜいが二十四時間で違いがでるほど伸びるものなのだろうかと。でも、よくよく考えれば不思議ということもないのかもしれない。たかだか数十時間でも、それは経過しているのであり、その時間の分、爪は伸びたのだ。そして、その伸びた分が僅かコンマ数ミリでも、『気になる/気にならない』というラインを超えたときには、気になってしまうのだろう。

 十二歳のときから、ギターを弾いている。最近はもう滅多に触らないけれど、人生のあるときまでは毎日弾いていた。何時間も弾いていることもあれば、数十分ということもあったけれど全く触らなかった日はほとんどない。強いていうなら、修学旅行のときくらいだろうか。マーシャルのアンプを手に入れてからは、毎日爆音で鳴らしていた。レスポールとマーシャル、そしてIbanezTS-9の音色と倍音は、熱いクリームのような手触りが耳に感じられた。

 そんな風にほぼ毎日ギターを弾いていたので、手指の爪、とくに左手の爪には気を遣っていた。どちらかといえば若干の深爪気味だったと思う。本当にコンマ数ミリの違いで、演奏のしやすさが変わってしまうので、ちまちまと切ってはヤスリがけしていた。そして、そんなことをしているうちに、爪を切るという行為に、何か愛着と似て非なるものを感じるようになった。似て非なるもの、というのがポイントで、決して愛着ではない。どちらかといえば面倒でもある。

 僕は多くの人々がそうであるように右利きだ。でも右手の爪は右手では切れないので左手に爪切りを持ち切ることになる。鉛筆、ボールペン、ハサミ、ホッチキス、ナイフ、包丁、箸。ほとんどの道具は基本的に利き手でしか使わない。書いている途中で気が付いたが、フォークとスプーンは利き手とは反対の手でも使う。サラダを食べるときに右手でフォークを使う人も、ステーキを食べるときは左手に持つ。スープパスタのときは右手にフォークを持ち、左手にスプーンを持つ。まぁ、それはさておき、爪切りは数少ない、両方の手で使う機会がある道具だ。ちなみに高校生のときにジミヘンに憧れて、左でギターを弾こうと試みたことがあるけれど、数分で諦めた。弦を抑えるより、どちらかといえばピックを持つ手の方が無理だった。なるほど、弦を抑えるほうが細かくて複雑な動きをしていると思いがちだけれど、弦を弾く、リズムを取り音を奏でている方が少しだけ重要なのだな、と思い至ったことを憶えている。

 爪が伸びていることに限らないのだけれど、僕はこんな些細なことでも、一度気になってしまうと、居てもたってもいられなくなる。だから、家にいるときは大丈夫だけれど、出先でそうなってしまったときはちょっと大変だ。実は職場には爪切りを常備している。どういうときに気になってしまうかといえば、それこそギターを弾くときなんてのは稀というか、むしろよくこのタイミングまで気にならなかったな、というくらいで、大抵は家で映画を見ているときに気になることが多い。つまらないものを見ているから、余計なことが気になってしまうかというと、そうではなくむしろ逆で、面白い作品を見ているときの方が多い。なんというか、面白い作品を観て没頭していると、自分の中の何かの感度が上がって、コンマ数ミリの爪の伸びが気になってしまう、というか。

 ギターを毎日は触らなくなってからは、自分の爪が思いのほか伸びていることに驚くことがままある。そして、まぁギター弾かなくなったもんなぁ、と思う。それでもまだ、こうして文章を打つことが自分の生活の中にあるので、それなりの頻度で気になる。その度に、ちまちまと爪を切って、ヤスリがけしている。一連の流れ、ルーティンは、ギターを弾いてたころとあまり変わっていない。というか、この切り方しか僕は知らない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?