サインカーブに浮かぶ日

サインカーブに浮かぶ日①

「えっと、五歳の時に、両親が離婚して、それまでのことは、あんまり、憶えていないんだけれど、七歳のときだったかな、再婚して、そう、たしか、入学式に、父が来てくれたから、あ、でも、そのときはまだ再婚してなかったのかな。でも、校門の前で一緒に写真を撮って。優しかったかな。前の父親のことは、全然覚えてないんだけれど、いつも怒ってたのは、憶えてる。でも、動物園に、行ったのかな。穿山甲っていう動物のキーホルダーを二つ買ってもらって。珍しい動物みたいで、しばらくお気に入りだったみたい。新しいお父さんは、すごく優しくて。紙石鹸で、一緒に手を洗って遊んだ。紙石鹸、私が子供のころは、流行ってたのね。お姉ちゃんが、どこからか貰ってきて。石鹸の、良い匂いがして。そう、手を洗って遊んでた。それから普通に中学、高校を出て、商店街のパン屋さんに就職した。就職っていっても、今でいうパートみたいなもので、時給で働いていただけだけど。でも、近くの小学校にも卸していて、給食用に。それで……、そう、一回、なにかのミスで学校側と揉めちゃったことがあって、で、それは私の、たしか、なにか勘違いをして、その日の給食のパンが用意できなくって、教頭先生なのかな、偉い人に、怒られちゃってね。でも、そのときに間に入ってくれたのが、夫になる人だったの。若いのに、私を庇ってくれて。自分では、職員室では浮いた存在なんだ、とか言っていたけど。そう、一度普通の企業に就職してから、教師になった人だから。それで、彼と結婚して。しばらくは、それなりに幸せに暮らしてたんだけど。子供が……、全然できなくってね。結局、できなかった。授かりものだから、仕方ないんだけどね。今となっては、もうなんとも思ってないんだけどね。でも、彼は子供が好きだったから。それが、そうね……、申し訳ないといえば、申し訳ないかな。子供がいれば、もしかしたら。でも、病気はね……、関係ないのかもしれないけれど……」
 そこまで言うと、彼女は洗濯機の中を見つめる。回転するその向こうに、ありえたかもしれない過去を見ているようだ、と僕は思った。
 ついこのまえ、と言ってもかれこれ三週間以上前になるけれど、家の洗濯機が壊れた。脱水中に大きな音を立てたあと、動かなくなった。とても大きな音で、僕は最初、近くに雷でも落ちなのかな、と思った。一人暮らしを始めた頃に買ったものだから、もう十年以上使ったことになる。そもそもが安物なので、持ちこたえたほうだとも思う。
 すぐに新しいものを買っても良かったのだが、壊れた洗濯機の処分や新しい洗濯機の設置などのことを考えたら、なぜだかとても面倒くさくなってしまい、そういえば駅までの道すがらにコインランドリーがあったよなと思い、そこを使ってみよう、という気になった。生まれてこのかた、コインランドリーなるものを使ったことがなかったので、興味もあった。
 週に三回程度、散歩がてら通っている。雨の日はさすがに行かないけれど、何日か分の洗濯物をもっていき放り込み、乾燥まで終わる間、そこで文庫本を読むのが、最近のささやかな楽しみだったりする。
 いつも時間を決めていくわけではないが、だいたい午前の十一時くらいに行っている。そのままスーパーに行って買い物をしたりする日もあれば、近くのラーメン屋で昼食を摂ることもある。よくあることなのかは判らないけれど、三週間も通っていると、知っている顔もできるもので、この年配の女性は、いつもほんの少しの衣類を洗いに、ここへ来ているようだ。言葉を交わすようになったのは先週からで、近くのアパートで一人暮らしをしているらしい。歳は六十歳手前くらいだろうか。こんな言い方は失礼かもしれないが、老いてもなお愛嬌というか可愛らしさの残る女性で、でもどこか翳のある彼女に、僕はほんのすこし興味を持って、尋ねてみた。

 あなたの人生の話を聞かせてくれませんか。嘘でも良いので。

 世の中、息をするように嘘をつく人間もいるが、こんな風に自分のことを語るときに、全てを嘘で語ることは、普通はできないと思う。ありえたかもしれない過去に、自分の希望を混ぜて話す。なにも僕は、こんな嘘の生い立ちを聞くなんてことを日常的にやっているわけではなくて、たまたまというか、彼女と顔をあわせるうちに、ふと彼女の過去が知りたいと思っただけだ。ありのままを話してもらうのも忍びないから、所々は嘘でも良い、と思ったからそう言った。でも、話を聞くうちに、そっちのほうが残酷だったかもしれないと思った。希望を混ぜる、ということは、本当は、そうじゃなかった、ということなのだろうから。今の話のどこが本当で、どこが彼女の希望なのかは、判らない。都合の良い部分もあれば、そうじゃない部分もあったと思う。もしかしたら、全部本当のことかもしれない。
「あの、ありがとうございました。突然、すみません」それ以上続きを話す気配を見せない彼女に、僕は言った。
「いいの。私もお話できて楽しかったし」
 彼女がそう笑ったあと、僕もつられて愛想笑いを返した。彼女の話がそこで終わったということは、彼女の人生が、実質そこで終わっている、ということなのだろうか。この先のことを僕はなにも考えていなかった。飲み物でもご馳走するべきだろうか。自動販売機で? とにかく話は終わった。そんな微妙に気まずい雰囲気の中、若い女性が一人、コインランドリーに入ってきた。この人も比較的、よく見かける人で、二十代前半くらいの色の白い、長身の女性だ。その彼女が、僕らを物珍しそうに横目で見る。
「えっと……」と、僕が言いよどんでいる間に、洗濯機の回転が止まり、彼女は自分の衣類を持って出て行った。僕は「じゃあ、また……」と、自分でもなにに対して『また』と言ったのか判らないまま、曖昧な笑顔を向ける。彼女もまた、僕に対して軽く会釈を返す。なんだかとても噛み合ったやりとりとは言えないけれど、どこか通じてはいる、というやりとり。
 ふと、あとから入ってきた若い女性の方に目をやると、彼女は足を組んでスマホを見ていた。手を動かしている様子はあまりないから、メールやゲームをやっているわけではなさそうだ。もしかしたら、動画でも見ているのだろうか。気になったけれど、気にしてもしょうがないし、話しかけるというのも違う。さっきの年配の女性は例外だ。例外というか、あの人の場合は、あちらもどこか他人との会話を望んでいるような雰囲気があった。こちらの人の場合は、そうじゃない。どちらかというと、そういったことは望んでいないというか、普通はそうだ。そもそも冷静に考えても……、逡巡しているうちに、僕の洗濯機も回転を終えた。僕は彼女の方をなるべく見ないようにして、自分の洗濯物をもってきたトートバッグに入れて、コインランドリーをあとにした。こんな風に変に意識してしまうのが僕の悪い癖で、向こうは僕のことなんかなんとも思っていないだろう。
 外へ出ると、来た時より日が差している。どこかへ出かけても良いくらいだけれど、洗い終わった洋服をもったままなので、一度家に帰らないと、と思う。お腹はあまり空いていないが、かといって家の冷蔵庫には、これといって食べるものもないから、どうしようか……、と考えていると、後ろから肩を叩かれる。振り向くと、例の若い女性で、手には片方だけの靴下を持っている。僕の靴下だ。
「これ……」
 と、彼女が差し出した僕の靴下を受け取る。
「すみません、ありがとうございます」
 僕がそういったあと、彼女は「うん」と「いえ」の中間みたいな言葉を発し、また中へと戻って行った。なんとなく引っかかるところがあったけれど、なんだかちょっと恥ずかしくなってしまって、というのも靴下だったからまだ良かったものの、下着だったらどうなっていただろうか、みたいなことを考えてしまい、そそくさと家へと戻った。戻ってから、玄関のすぐ脇にある、壊れた洗濯機に向かって、そもそもお前が壊れたからだぞ、というようなことを一人でつぶやいてみたけれど、何がだ? と、自分でもすこし可笑しくなった。

 洗ってきた服を衣装ケースにしまうと、留守番電話が入っていたようで、ランプが点滅している。この電話も一人暮らしを始めた頃から使っているもので、当時、携帯電話があるからいらないと言ったにも関わらず、父が半ば強引に置いていったものだ。案の定、ほとんど使われることはなかったけれど、父は意地になったように、こちらに電話をかけていた。再生ボタンを押すと、案の定、父からで、大した用事はないけれど元気にしているのか? という内容だった。僕は大体家にいるのに、こうやってちょっと出かけているときに限って電話を寄越してくるのが父らしいというか、僕らの関係性を図らずも表しているようで、なんとも言えない気分になってしまう。まぁ、家にいたとしても出るのが億劫だから、ずっと留守番電話をオンにしたままなのだけれど。仕方がないからかけ直そうか、いやでもなんとなく無意味な会話、ただただ現状のありきたりな言葉のやりとりをすることに気が引けていた僕は、そのまま父のすこし老いた声を聞き流すことにした。なにか温かい飲み物でも入れようかと、ケトルのスイッチを入れると、珍しくもう一件、留守電が入っていた。高校の時の友人の冴島からで、今夜また飲みにでも行かないか、というような内容だった。よりにもよって、こんな日にこんな電話をしてくるのも冴島らしい。今夜は関東でも雪の予報で、なんでもとても強力な寒波が日本列島を覆うらしい。電車が止まるかもしれないし、そんな日に出かけるのもやはり億劫だ。なので、この留守電も一旦、聞き流すことにした。
 冴島が、家の電話にかけてくるのは、今の僕が携帯電話を持っていないからだ。正確にはスマホは持っているけれど、電話は契約をしておらず、出先でインターネットを使えるようにポケットWi-Fiだけ持っている。仕事を引退して半年くらいたったころ、電話がなくて不便なのは僕ではなく、僕に電話をかけてくる人間だけだ、ということに気がつきやめてしまったのだ。
 冴島が、この番号を知っているのは、以前、僕の家に泊まりに来たときに、妙にこの固定電話を珍しがり、僕の家の電話から自分の携帯電話に勝手に掛けて、番号を登録したからだ。
 冴島は不定期に連絡を寄越してきては、どこかに飲みに行こう、などという。そのほとんどが金の無心のためだが、やんわりと断るとすんなりと折れてくれるので、未だに彼に金を貸したことはない。だから、なんとなく彼との縁は切れないでいる。それだけでなく、彼には不思議と他人に嫌われない、という才能めいたものがあるような気もする。彼の性格は、いわゆるちゃらんぽらんと言われるもので、一応、正社員で働いてはいるようだけれど、酒、女、ギャンブルが好きで、未だに独身だ。自分で言うのもなんだけれど、僕とは正反対な人間だ。だからこそ、僕は彼のことをそこまで嫌いになれないのかもしれない。加えて、僕の数少ない知り合いのうち、今でも僕に対する態度が、あまり変わっていない、というのもあるかもしれない。
 お湯が沸いたので、無印良品で買った粉末のマサラチャイをカップに入れて、一口飲んだ。それからリダイヤルを押して、彼に電話をかけた。
「もしもし?」僕は言う。
「あ、おお、久しぶり」
「なに? どうしたの?」
「いや、留守電に入れたろ? 飲みに行かないかなって」
「こんな大雪の日に?」
「まだ降ってないだろ」
「夜から降るんだよ」
「大丈夫だよ。どうせ大した雪じゃない」
「なに? お金は貸せないよ」
「おい、すぐそういうこと言うんじゃないよ。そういうんじゃないって」
「本当に?」
「おう」
「じゃあ、別に良いけど」
「良い? 飲みいっても良いってこと?」
「うん。飲みに行っても良い」
「なんか、上から目線だな」
「僕も自分で言ってそう思った」
「じゃあ、七時に新宿で……」
「新宿かぁ」
「なんだよ?」
「いや、遠いなって」
「って言ってもなぁ」
「やっぱり別の日にしよう」
「おいおいおい」
「判ったよ。じゃあ、七時に新宿で」
「ほいほい」

 冷凍のチキンライスがあったので、それを解凍し卵を焼いてオムライスにして食べ、そのあとラジオを聴きながら、コーヒーを飲んだ。テレビをつけたけれど、天気予報はやっていなくて、ニュースというかワイドショーしかやっていなかった。天気の話題になるかと期待したけれど、十歳の女の子が父親に虐待されて亡くなったというニュースと、俳優が暴行事件を起こし、公開を控えていた映画が中止になった、というニュースしか流れなかった。
 昨夜見た予報では、今日の夜からだったけれど、三時ごろに降り出した雪はアスファルトの表面にほんの少し積もっただけで、五時ごろには降り止んだ。スプレーで、シュッと吹きかけたくらい。ネットで最新の天気予報を見ると、もうほとんど降らないらしい。昨夜、確認したときとは随分とその危機感も変わっていて、もしかしたら事前の予報は、だいぶ安全側に設定されていたのかもしれない。ただ、それでも寒波が来ているのは事実で、気温は相変わらず一、二度くらいしかないようで、出かける前に白湯を一杯飲んでから、マフラーを巻き、コートを羽織り家を出た。

 新宿に着くと改札のすぐ外で冴島はすでに待っていた。「お前、ケータイ持ってないから、こういうとき不便だよな」と言われたが、SNSで連絡が出来ないのは彼がまだガラケーを使っているからだ。

 彼の案内で、ゴールデン街にある飲み屋に入った。その店までの道はちょっと入り組んでいて、僕は冴島の背中について行っただけだったから、後日、一人でまた来いと言われても来られないだろう。カウンターしかない、落ち着いた雰囲気の良いお店だけれど、狭いせいか暖房が強く効き過ぎていて、入ったばかりのころは温泉に浸かったときのようなじんわりとした温かさが心地よかったが、次第に暑くなりすぎて、コートとマフラーを取っても変わらなかった。
「ここ、暑すぎない?」
 僕がそう言うと冴島は店主に暖房を少し下げるように言ってくれた。店主からは氷水の入ったグラスを手渡されたけれど、それを一旦置き、外に出て冷たい空気にあたることにする。
しばらくして、店の中に戻ると、「こんな寒い日に、贅沢なやつだな」と冴島は笑った。誰が誘ったんだよ、と思いながら、僕は水を飲む。ようやく、体の内側と外側の温度がバランスを取れたような感覚になった。もう平気だと思う。
 久々に会った冴島は、電話で宣言した通り、お金の無心はしてこなかった。彼はとあるスーパーを営業している企業で働いている。といっても今ではもう現場ではほとんど働いていなくて、バイヤーとしてほぼオフィス勤務らしい。たまに現場にも行くけれど、気楽なもんだよ、と話す。些細なことを愚痴りながらもその口調はどこか楽しそうだ。けれど、時折彼が見せる表情は、僕がそんな風に思っていることを見透かしているようにも感じられた。それは彼の話し方が、どこか先日のコインランドリーで話を聞いた年配の女性に似ていたからかもしれない。文句を言いながらもなんだかんだ楽しくやってると、そうとでも思ってなきゃやってらんねぇよ、実際はさ、別に話すことなんてないんだよ。毎日毎日、特に面白くもないことの繰り返しでさ。それでもちょこっと頭使ったりして、そういうのをちょっとしたゲーム感覚でこなしてんだよ、と。話の細部には所々に嘘が含まれているようにも感じられ、僕にはその境界が判らない。
「おーい、大丈夫か」彼が言う。
「ちょっと酔ったかも」
「大丈夫かよ。また外で風当たってくるか? まだ暑すぎるか?」
「ううん。大丈夫」僕はグラスに残っていた水を飲み干す。「大丈夫だよ」
「なら、良いんだけどさ。なんか、ぼーっとしてたぞ」
「そう? いつもこんな感じだと思うけど」
「自覚してんのかよ」と、彼は笑った。「そういえばさ……」
 冴島はそう切り出しすと、妙な顔をした。ニヤけるでもなく、少し困惑でもしたような。
「会社のパソコンでさ、風俗情報の掲示板を見てたらさ……」
「会社のパソコンでそんなの見るなよ」
「いや、まぁ、それは良いんだよ」
「っていうか、そういうサイト見れないように規制かかってんじゃないの?」
「そうなんだけど、それは後輩にさ、見られるように解除してもらったんだよ」
「コンプライアンス的に大丈夫なの?」
「お前、うるせーな。聞けって」
「うん、まぁいいや。それで?」
「で、その掲示板でさ、池袋のとあるソープ嬢の、名前はなんていったけな。確か、じゅえりーだかじゅびりーだったかな。その嬢のことが書いてあって」
「うん」
「それがさ、もうボロクソに書いてあんの。顔もブスだし体型もだらしない。サービスも悪いしアソコも臭い、みたいなさ」
「うん。それってさ、何のために書き込まれてるの?」
「なにが?」
「いや、だってそんなとこで悪口書いても、仕方なくない?」
「いや、そうじゃないんだって。ようはさ、互助精神なわけよ」
「ん?」
「つまり、お互いに地雷踏まないように、情報共有しましょう的なさ」
「あぁ、なるほど」
「でもさ、これにも一長一短があって、つまりは逆のこともできるわけ」
「逆? わざと地雷を踏ませるってこと?」
「というかさ、ようはオキニ隠しってのもあるわけ。自分のお気に入りとか当たりをさ、わざと悪く書いて、他の客を寄せ付けないようにするってこと」
「へぇ、なるほどねぇ。なんだか、涙ぐましいね」
「え? あぁ、で、その、じゅえりーがさ、やけに執拗に悪く書かれてるから、俺、ぴーんときちゃって」
「オキニ隠しだ」
「そう」
「そしたら?」
「入り口でさ、一応写真は確認できるわけ。入り口というか受付でさ」
「もったいぶるなぁ」
「聞けって。そしたら、まぁまぁ可愛い子なわけよ。目鼻立ちもハッキリとしたハーフ系というか」
「うん」
「んで、待合室でさ十分くらい待って呼ばれて行ってみたらさ……」
「ご対面だ」
「伊良部がいたのよ」
「いらぶ? 誰だっけ?」
「伊良部だよ。メジャーリーグ行った伊良部」
「あ、ごめん。野球は判らないや」
「なんでだよ〜。あれはもう、ほぼ本人だったんだよ」
 冴島はそこまでいうと、妙にすっきりしたような顔をした。余程このことを誰かに話したかったのだろう。その相手が僕だったことは僕としても申し訳ないが知らないのは仕方がない。なんとなく悪いなと思い、グーグルで伊良部という野球選手の画像を検索したが、うんなるほど以上の感想は湧いてこなかった。いや、まぁ、お気の毒に、くらいは思ったけれど。
 それからもう少しだけ、どうでも良い話をして、その店を出た。
「わ、けっこう積もってるじゃん」
 話し込んでいるうちに、あたりは真っ白になっていた。五センチくらいは積もっていて、電車がまだ動いているか気になった。
「帰れるかなぁ」
「別に良いだろ、一泊くらいそこらへんのホテル泊まったって」
「そうかもしれないけど、空いてるのかな」
「あぁ、確かに微妙かもな」
 とりあえず彼についていき、駅まで歩く。積もったばかりの雪は踏むとググッとした感触があって、ちょっと楽しかった。それは冴島も同じだったようで、彼もまた大げさに白い地面を踏みしめている。
「来る前に見た天気予報だと、もう降らないみたいな予報になってたんだけどね」僕は言った。
「なんか、最近こういうときの予報ってあてにならないよな。豪雨とか台風とかさ」
「そうかもね」
「まぁ、良いじゃん。雪って降るとなんか楽しいじゃん」
「そうかなぁ」コートのポケットに手を入れて、肩を上げて歩く。マフラーもしているけれど、顔は外の冷気に触れて、そこから熱が放出されていく。あっという間に、酔いも覚めそうだ。「なんか虐待のニュース、夕方やっててさ」
「ん? あぁ、あれな。テレビでもずっとやってんな」冴島はちらっとだけ僕の方を振り返ったけれど、すぐに前を向いた。足元を確認しながら、歩いてく。「自殺する奴の気持ちも判らんけどさ、もっと判らんよな。判らんくて良いんだけどさ」
「なんで? 自殺?」
「だって、そうだろ。自分の子供、死なせちゃうなんてさ」
「そっか。そうだね」
 駅に着く。幸い、電車はまだ動いているようだ。でも、ダイヤは乱れていて、小田急線ではロマンスカーが運休になったとアナウンスが流れていた。
 じゃあな、といって冴島と別れ、各駅停車に乗った。急行よりは空いていて、一本後の車両だったので、座ることができた。発車までドアが開けっぱなしなので、車内は寒い。しばらくすると人がどんどん乗り込んできて、あっという間に満員になった。
 最寄駅について、コンビニで何か買おうかと思ったけれど、何も思いつかなかったので、そのまま歩く。相変わらず、新しい雪を踏みしめながら歩く。家まであと少しのところで、冴島の話を思い出してスマホを見る。伊良部投手のことを検索した画面がまだ残っていて、そのままブラウザで彼の略歴を読む。もう亡くなっていたのか。
 プロ野球史上最速の投手は誰か、という議論に、必ずと言って良いほど名前が挙がる選手だったらしい。そうか、と僕は思った。それでなんとなく、地面の雪を掴んで雪玉を作ろうとするけれど、ふわふわの雪で、なかなか固まらない。手がかじかんできてしまったけれど、なんとか雪玉にして、投げた。手が冷たくって、ちょっと後悔した。

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続きは書籍版で。

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インディ作家。 日々の生活や、家族、音楽などをメインテーマに、色々な『新しさ』を模索しながら、小説を書いています。