桜花絢爛 「エピソード1 涼」


 一つ生まれたこの命
 一人過ぎ行くこの道に
 一心不乱に咲き誇れ
 桜花絢爛
 
 人生が最も輝くとき。
 桜花は絢爛する。
 咲いたまま凜と立っていられる者もいる。
 散りゆく花びらを止められぬ者もいる。
 いや、もう一度と、枝を広げる者もいる。
 諦めて枝を垂らす者もいる。
 長い冬がそこにある。
 それでも春になる。
 春になれば花は咲く。
 人生は何度でも輝ける。

 彼は咲く前のそこで立ち止まっていた。

 「涼」は今年で高校5年生になる。

 「EP 1 涼」

 ここに3枚の写真がある。
 一枚目は、涼の幼稚園の入学式の日の朝、東京一等地にある自宅の庭に生える大きな桜の木の下で、家族四人が並んで映っている写真である。
とても素敵な写真だった。四人の幸せそうな笑顔もさることながら、暖かい春に包まれた緑豊かな見事な庭と、四人の後ろに映る欧州貴族の屋敷の様な自宅にも目を引かれる。
 家に仕えるお手伝いさんが撮ったものだった。
 その春、涼は、東京のある有名な私立幼稚園に合格した。日本屈指の名門中の名門、倍率は十数倍という事だったが、写真に映る涼の満開の笑顔を見る限り、そういった苦労は微塵も感じられない。
 涼は、品のある制服に身を包み、こ洒落た帽子を斜めにかぶり、大股を開いて立ち、満面の笑みで、カメラに向かって真っ直ぐに突き出した手をピースにしている。その口の右端がニッと大きく上がる特徴的な笑顔と、やや顎が上がり余裕ぶった様な表情を見せるのが印象的だった。短パンに革靴を履いた足の膝小僧には、いつも擦り傷があるような元気でわんぱくな男の子だった。
 そのすぐ隣に父親の誠一が立っている。誠一は、背筋がすっと伸びた長身で、紳士服のモデルか、或いは西洋の騎士かと思わせるような風格があり、細身のダークスーツがとても良く映える。涼と同じように口の右端がニッと大きく上がる笑顔を持っていて、物腰も柔らかく優しそうで、名前の通りとても誠実な印象を受ける。
 母親の志麻子は、華奢なこじんまりとした体を品のある礼服に包んで、手を前で組み、カメラに向かいやや斜めに構えている。両の頬が大きく上がる華やかな笑顔と、緩く波打つ艶のある綺麗な髪が印象的だった。背は誠一の肩の高さほどで、そうしていつも誠一の傍らに立って、その肩に寄り添い、その背中をとても頼りにしているような、か弱そうとも取れる、女性らしく可愛らしい印象を受ける。
 そして、涼の隣にもう一人、涼より8つ年上になる姉の志穂がいる。母親に似たとても綺麗な髪の毛をしているが、志摩子とは違って、その凛とした性格を象徴するような真っすぐな黒髪だった。そして、立ち姿は父親に似たか、姿勢も良く、年の割に随分としっかりとした印象を受ける。真っ直ぐ伸びる長い手足に、紺色のワンピースがとても良く似合い、父のスタイルと、母のかわいらしさを合わせ持った様な恵まれた容姿だった。なにより、その両の頬が上がる、大きな笑顔がとても印象に残る。
 誰がどう見ても紛れもない家族の写真。四人は幸せそうに笑っていた。
 頭上に咲く桜にひけを取らない華やかさだった。
 2枚目の写真は、涼の小学校の入学式の日の朝の写真。今回も同様にお手伝いさんが撮影したもので、同じ桜の木の下、四人同じ立ち位置であった。
その春、涼は、東京で恐らく一番有名な…、あの私立小学校を受験した。都心一等地に建つ緑豊かな建物も有名で、財界のご子息や、著名な人間の子供が多く集まる中、涼はその小さな背中と小さな足で堂々と突き進み、祖父や、父親と同じ軌跡を見事に通り抜けた。
 その達成感は、今回の写真でも、その堂々たるポーズの中に現れている。涼は、その特徴ある笑顔から、真っすぐに突き出した手の先をピースにして、この写真では更に握った拳を腰に据えている。まるで戦隊もののヒーローにでもなったかのよう。写真の中央に映る堂々たる笑顔の様子はとても印象に残る。
 誠一は、その小さな英雄の背を優しく見守るように、涼の肩にそっと手を置いている。
 志麻子は、中学生の段階で自分の背を追い抜いた立派な娘に甘える様に、志穂のその肩にそっと寄り添うように立っていた。。
志穂は女らしさも増して、ますます綺麗になっていた。志麻子の方が娘みたいだと、これを見た誰かが冗談で言っていても、それはそれで頷けてしまうような落ち着きがあった。
 この写真もまた、眺めているだけで微笑ましい気持ちになる程、幸せそうな家族の写真であった。
 四人は、あの時と変わらない笑顔で笑っている。
 頭上の桜も毎度見事なもので、何度でも訪れて欲しい、幸せな家族の春だった。
 3枚目の写真は、涼の中学校の入学式の朝に撮られたもの。同じ様にお手伝いさんが撮影したものである。
 涼は小学校からそのままエスカレーター式に入学が決まった。
 膝にすり傷があるような、わんぱく少年だった涼は、見違える程の美青年に成長していた。背も誠一に並ぶ程高くなり、凛とした眉の下に二重瞼のくっきりとした大きな目、鼻筋の通った二枚目であった。色の白さも相変わらず。どこのおぼっちゃんか、どこ様のご子息かと思わせる品格がすでに漂っていた。
 が、この写真には、あの特徴ある満面の笑顔のかけら一つなく、蒼白とも取れる表情のない冷たい眼差しをしていた。あの元気とわんぱくなピースを突き出していた右手は、それをそっくり切り落とされたかの様にだらんと下がっている。腰に据えていた力の入った拳も開け放したままだった。
志麻子は写真で分かるほど頬がこけている。緩やかに波打っていた髪は艶をなくし、それが顔を覆う様に頬に張り付いている。華やかな笑顔は死んでいた。カメラの方は見ているものの、俯いているような印象を受ける。
 その傍らに立つ誠一も、あの凛とした立ち姿が失われ、中身のない騎士の鎧だけがそこに飾られているような印象を受ける。
 あれだけ映えていた二人のダークスーツも、もはや喪服に見える。涼は、無理やり着せられたような制服姿で、真っすぐとカメラの方を見つめていた。その6年の間に何があったのか、撮る側も「笑って」と声をかけるのを躊躇するほど。
 志穂がいない。
 そして、志麻子と涼の間には、互いにもう一歩詰められる様な不自然な空間がある。
 頭上の桜だけは、変わらずに綺麗に咲いている。
 以来、家族で映っている写真は一枚もない。

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