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VRに立ちふさがる「単純性と情報性」

日々VRでなにかできないか、自分でも日常的に使い続けられるVRはないか? ってな穴を掘りまくっておりますが、今日はVRに立ちふさがる「単純性」のお話

単純性とは?

認知科学の本に書いてあった用語で、対になるのは「情報性」。単純性の具体例をあげると以下の図になります

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一番左の人がリンゴを見て、それを伝えるために「リンゴ」と単純化して伝える(単純性が高い)。そうすると3文字で素早く伝えることができるが、全員の頭の中のリンゴは違っており「情報性」は失われます。

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逆に事細かく伝えると、正確に伝わるかもしれないけど、伝える方も読み解くほうも時間と労力がかかります(情報性が上がって単純性が下がる)

人間の脳はとにかくサボりたい

そしてここに「人間の脳はとにかくサボりたい」というのが加わると、人は情報性が低くても単純性が高いものを選ぶという傾向になります。
ツイッターで短文の怪しげな文(デマ)をぽいぽいRTするのも、この人間の習性ゆえだと思います。

メディアによる単純性と情報性の関係

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・文章は単純化できるものの、相手が知らないものは伝えられない。それを逆手にとって誰にも解らないものを伝える?こともできる
・画像は単純性が少し落ち、その代わりに情報性が少し上がります
・動画はさらに情報性は上がるものの、単純性が下がります。最近ファスト映画や切り抜き動画。映像を倍速で見る人がいるように、下がってしまった単純性を上げようとする人もいます。単純性というのはそれほど人間にとって重要なんでしょう
・現実はMAXの単純性の低さと、情報性の高さをほこります

かくいう上の図会も、文章と図の混合技であり、文章による高い単純性に図による情報性の補間によってなりたってます。そして人間にとってちょうど良い「単純性と情報性のバランス」ってのはこんなものなのだろうと思います

じゃあVRはどうなるのか?

VRの立ち位置的に、現実と動画の中間になると思ってます。そして現状
・動画より情報性は高いかもしれないが、現実の情報性には格段に落ちる
動画ですら単純性が低すぎて切り抜きや倍速で見られているのに、VRはもっと単純性が低すぎて人々に受け入れられるのか?
という悩みが自分でもあります。ってか自分で色々作っててそう思うから。

VRのゆくみちは

・動画では情報性が足りない、でも現実ではコストが高い。というニッチなジャンルを攻めていくか
・VRの中でも単純性を高めて、動画や文章を超える「情報量/時間」を達成するなにかを生み出すか

なのかなーとも思っているところです。後者を生み出せたらけっこう凄いことになるかもしれないけど、今はまだてがかりすらつかめていないです

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