プレゼントを受け取った時の反応
過去にプレゼントをあげたりもらったりすることがあり、高校時代の子持ちの友人のお子様宛にささやかなものをあげただけで怒らせたことがあったので躊躇してしまうことがある。
送られた側にとっては重荷になってしまうということでやめてほしいと懇願するのは理解できるが、しばらく会えない分、関係を維持させるための手段であるということを見破られても仕方がない。
というより、その反応見たさにしていたら普段の生活に飢えている反動でやってしまってるのではないか。
それ以前に前職で庶務をしていた頃、当時の清掃員が出勤簿整理を慌ただしくしている最中に、本来私がすべきだった専務のお茶出しを代わりにしてやったことに対して、表面上は礼を言ったものの、彼女がその場にいなかった時にお節介なことをされたという独り言を言ってしまったことを耳にされてしまい、職場追放レベルの不本意な左遷をされる経験をしたことが蘇ってしまった。
何故、私の厚意を素直に受け取って取れないの⁈
清掃員に吐き捨てられた言葉をそのまま友人にしてしまい、最悪、今までの関係を駄目にしてしまうので、たとえ責められても彼女の気持ちのままにしておきながら謝罪する他はなかった。
見返りを求めてしているわげではないものの、私からあげた分に関してはお礼は必要ないというが、受け取った側にしてみればお礼すること自体が負担になると。
過去に逆の経験をしたことがあり、元文通相手や自死した親友から誕生日とかの大切な日ではないのにゴミに近いようなものを送られて困惑したが、処理するのに困ったことがあった。
私への想いがあることに対してはありがたく頂戴するが、子持ちの友人と同様の対応をしたことが原因で関係を絶たれしまい、何がいけなかったのか思い悩んだ。
父方の祖母にいくらまずいものを受け取ったとしても、相手がそれをした行為に対して感謝しろと教え込まれたために、無礼なことはできない。
いくら手取り収入が少なくても、私に対する精一杯のことをしたのではないかと考えられる。
ここ最近、第三者にあげたことが2回あり、5年前のピラティスインストラクターの誕生日に贈ったミドリガメのナノブロックと人気のアイスクリーム店のギフトカードを入れたプレゼントを開けた時の表情と子宮全摘手術の為の入院生活でお世話になった主治医に贈ったコーヒーの詰め合わせとカードを宅配便で受け取った時の表情を何故か比較してしまう。
ピラティスインストラクターの場合、毎日チェックしているブログに富裕層並みの生活をしていると思われる自慢話をしているのではないかと感じられるのは勿論、こんな安っぽいものを受け取りたくない態度が見え見えで、何故そんなものを選んだのかと訊かれて、私がした厚意をぶち壊され、適当にあしらった。
逆に主治医は前述のインストラクターのようなことはしなかったものの、夕食準備中の頃に私の携帯にお礼を伝えるために入れるつもりだったと聞かされ、瀕死の状態だった私を救ってくれた感謝の気持ちが伝わったのだと理解できた。
今まで送る相手のことを考えず、見返りを求めなくても心を通わせるためにプレゼントを贈って自己満足をしていたが、関係をこじらせたくない思いですると物理的だけでなく精神的な負担を与えてしまうマイナス面があり得ることを実感した。
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。