年賀状納め

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

表題をしたきっかけはSNSやメールの普及で多忙の合間を縫い、手間をかけたくなかったのは勿論のこと、7年前に親友を亡くしたことが引き金で自分のことを好いてくれる人がいなくなったことを自覚するようになったからである。

仕事関係者の場合、初職で毎日のように顔を合わせている嫌いな社員にもお世話になっていると言う理由で投函しなくてはいけないと言うことを先輩に教えられたが、前職の場合は2002年以降は個人情報が漏洩される影響で当時の庶務担当者に社員間のやり取りを禁止する旨を言われたため、投函しなかった。

幼い頃からいじめ被害を受けたいたために友人は皆無に等しく、一通も届かなかった年はあったとしても、自分から差したしても元旦到着ではなく、お返しで届くケースが多かった。

家族間で元旦に届いた年賀状の枚数を自分なりに比較したが、役職経験があった実父やいじめ被害が皆無に近い実姉の方が断然に多かったことを目の当たりして、悔し泣きしたことが多々あった。

子供の頃は嫌いな相手には無理して付き合う必要がなかった気楽な面があったせいか、人望がなかったことも自覚した。

それに関係して女性から男性宛てに送るバレンタインチョコはともかく、昭和でいえば退職日に受け取った花束の数で人望がの有無が疑われたという話は知っており、初職を自己都合退職をした時に二つ下の男性の後輩に質問されたが、前述のことを過ぎったのでスルーした。

その当時は現在でいう派遣をはじめとした非正規社員でもできる仕事しか経験しておらず、仕事上での外部接触することを禁止されたせいか、人脈や信頼がないまま職業人を必然的に終わってしまった虚無感はある。

#王貞治 氏は現役時代に届いた大量のファンレターを一通一通丁寧に読んで必ず返信したという話を知り、多忙な合間を縫って返事を書いてくれる姿勢をする場面に感銘し、こんな人間になれればなと思った時期があった。

反面、絶頂期の #光GENJI  のメンバー宛てに贈ったトラック数台分のバレンタインチョコレートが送られたものの、一人分では食べきれなかったという騒ぎがあったことを知り、嬉しい反面一人一人に感謝が出来ないと責めれれても無理はないという現実を知り、同様なことをしたので彼らの気持ちが理解できた。

幼い頃から受け身の形で友人関係を築くことが多かったために、周囲から積極的に友達作りをしろと忠告されていたので過去に数回会話したことがある友達宛てに年賀状を送ってもお返しされるケースが多く、そこまでの関係だったということで年賀状の投函を終わらせたことから、現在の若い人達の希薄な人間関係を作り出してしまったという申し訳ない気持ちもある。

#年賀状 を送ることをやめた時期は40代前半にFacebookをしていて友人間との近況をその場で知ることが可能になり、その当時は仕事等で多忙だったので年が明けてからでも遅くはないと気持ちがあったせいもあり、失業や友人達の疎遠という刹那的な関係で終わらせてしまった虚無感を引きずっている状態の輩にしては人間関係としての #終活 の準備をしても可笑しくないのではないか。















只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。