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depression log: 聖杯に血を注いで乾杯する

自分の美学を自分の中で貫き通したいだけなのに
それが相手への悪い影響となってしまうなら
1人でいる方がいい。

美学や哲学はSNSへ垂れ流すけど、
相手がいる時は主張せず心の中にしまって
私の聖域の中で形あるものに変えた方がいい。

それが私の「孤独と闘う方法」なのだと最近わかってきた。孤独のひとつは、相手や社会からの孤立や否定から生まれる。

頭では分かってはいてもどうしても体がついてこなかったり、脳は死んだまま体が勝手に動いたりしてしまう。無意識で自分を傷つけてしまう。それが今の所の私の抑鬱の時の症状だ。

そういう時に限って、人に頼ろうとしてしまうけどあんまり良く無いんだろうなという事も分かっている。その人のネガティヴな感情を引き出してしまう可能性があるし、私への関わり方もみんなどんどん変わっていくから。

辛くて涙を流しても、感情に溺れるのではなく、私は悲しんでいるんだ。では、私は何に悲しんでいるんだろうと私から離脱して認知する。
そして内省する。

人と深い関わりを持たないようにして、感情を無にして対処した方が、誰にも悪い影響を与えずに済むのかも?とも思っている。

私が今、どんな感情でいるかを相手に知られるのが怖い。だから本当に信頼している人にしか本当の感情を垂れ流せない。それが出来る人はごく僅かだ。
私の周りの人は優しいから手を差し伸べてくれたりする。でも一度その優しさに包まれた後は強い孤独に苛まれる。その無限ループが怖い。

だからずっとそこに変わらずに存在しているものに目を向けて、光や影による時空を感じて、時と感情の変化を自分で模索するのが良いのかもしれない。というのが最近私の中に生まれた答えだ。

鹿児島で暮らすのはとてもいい。
天気がいい日はお気に入りの音楽を流して、洗濯をして太陽と風を感じる。
雨の日は頭痛に耐えながら、掃除をして温泉に浸かって自分の心をリセットする。
大地に身を投げて生きている感覚を肌で感じる。

早く働けるようになったらいいんだけど、
まだまだのようだから
自分と、孤独と、苦しい過去と向き合って
どんな形に完全変態しようか考える期間にしている。あっという間に時は過ぎる。

早く変態した私に餞の言葉を贈れるように。
幼虫は蛹になって、身を守る術を体に取り込んで蛾となって飛んでいく。