すぐ行動する人、腰が重い人
現代の社会では求められるのはいうまでもなく前者で、その価値は万人に認められている。すぐ行動することは、スピード社会で生き残るには必要不可欠なスキルであり、目の前のチャンスをみすみす逃さず、食らいつくための処世術でもある。
反対に、腰が重い人は鈍く、頭でっかちで心配性。生気を無くした幽霊のような印象を与える。
どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。昔は、すぐ行動する人間を讃えることはなかった。昔の人はそういう気質を、むしろ軽率、無鉄砲、そのような態度を猪突猛進と揶揄していたのだ。逆に、腰の重い人は深く考える人というように考えることも可能である。
これらのことからわかることは、ものの価値観というのは相対的であり、時代やそのときの風潮によって一方が正義、もう一方が悪になるだけで、その二つは盾の両面であるということである。
価値観は相対的であるという月並みな結論を達したので、ここからより問題に深く立ち入ろうと思う。
旧時代には、軒並み人間は働いていた。口を糊するためでもあるし、封建的な社会においては職を持たないことなど普通ありえなかった。
その当時の社会は現在のように衣食住の保証された社会ではなく、絶えず困窮と背中を合わせた厳しい社会であった。その結果、人々が従事する職は人間の生命維持に直結する物資を生産しており、人々の仕事の意味は目に見えて明らかだった。職の意味を見失ったのは西洋の技術の導入による大量生産体制が確率してからである。
ここで話をもとに戻す。すぐ行動することが大切であると説かれるのは、人が行動するさいに、とるべき行動が生命維持活動とは無縁に見えて結局行動しなくなるからではないか。
人間の行動原理がそのように単純でない以上、そのような見方は浅薄であるに違いないが、「Be hungry.」という言葉はそれなりにものの本質をついているようである。充足しきった社会においてあたかも飢えているように行動せよ。
科学の進歩は社会の発展させるとともに、精神病患者が増やした。そのような精神病者の鬱屈を予防するために、すぐ行動せよと説かれる。これは問題のひとつの解決法を提示していて、いいことだと思う。
しかし、誤ってはいけないのは、性急な行動をも善と見なし、深く考える人を軽蔑することである。これは、すぐに行動するという考えが極端化した例だが、割合現代社会に浸透しているのではないかと思う。深く考えることを止めれば、未来を見据えた行動はできないし、偏見や短慮によって他人を傷つけてしまう。
極端なものは間違っている。この思想は、歴史が証明している。表か裏か、資本主義か共産主義かといった二者択一の思考、二分法は物事を本質的にとらえていない。物事を簡単に割りきらない知力を備えた個人が増えることを望む。
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