なろう恋愛小説について

 なろうの恋愛小説には大きな特徴があります。まず、恋愛ジャンルは異世界と現実世界に分けられ、前者は悪役令嬢ものが主で、後者はハーレムものが多いです。それに書き手の性別も上の二分法に従い、主に異世界を女性、現実世界を男性とすることが多いように思われます。

 今から話す内容は現実世界の恋愛小説、すなわち男性が書くものについてです。

 その目立った特徴と言えば、一に美少女に言い寄られる、二にぼっち、三に高校生であるという点です。

 一は、おそらく全男性の夢であり、二は小説の書き手そのものがクラスの日陰者であったり、『俺の青春ラブコメは間違っている』の影響を受けていたりするからかもしれません。三については、おそらくライトノベルが主に中高生を対象としたものであり、その先駆けが『涼宮ハルヒの憂鬱』という学園ものであることに起因しているのでしょう。

 この三つについてはテンプレであるとか色々な批判があるでしょうが、ここで問題としたいのは、主人公の性格についてです。

 大半の小説で、主人公は唐突に美少女に言い寄られます。その接近の理由として、幼児期の婚約の約束とか偽装交際とか恩返しとか色々な理由がありますが、たいていの主人公がその告白に対し嬉しく思うものの、自身の日常が平穏でなくなることを危惧するのです。

 それは主人公の境遇に理由があります。主人公はたいていクラスの中でぼっち、あるいは目立たない平凡な生徒で、その平穏な毎日をどうしたわけかこよなく愛しています。そしてクラス内でもてはやされる美少女を眺めては、自分とは住む世界が違うとか、一人でいる方が実りがあるとかそういう御託を並べては内心得々としているのです。

 また、美少女と交際し始めたなら、周囲は色恋沙汰が好きですから騒がしくなるのはもっともです。もし、それが多くの生徒が思いを寄せる学園のマドンナ的存在であったら当然嫉妬も起きるでしょう。物語の途中では申し合わせたように、かませ犬的存在(それも主人公に告白した美少女に執着するチャラ男が圧倒的に多い)が現れます。

 ここまでなろうに典型的な学園恋愛小説を見てきましたが、その多くが平穏を望み、周囲に対して自分の世界を限定する、魅力に乏しい小心翼々たる主人公ばかりです。

 これはおそらく読者が主人公になることを目的としていることにあるのですが、その点を踏まえても少し小物過ぎるような気がします。

 だったら読むんじゃないとか元も子もない意見を言う人がおられると思いますが、それは作品に対し盲目です。恋愛にお熱な少女は、愛する人の欠点を他人から言われたら怒るでしょう。それと同じです。

 視点を高くして見てみます。これら典型的な主人公が望むのは等しく平穏すなわち他人との協調、社会との調和です。美少女と接触を控えるのは、自分が社会に認められておらず、自分を身分不相応だと自覚しているからです。逆に、主人公が能力を隠し持っていて認められていく物語も同様。そのどちらも社会的順応あるいは承認を前提としているのです。

 また、その多くが他人の意見よりも自身の意見を尊重する人間だと自分では思っているものの、実際は通俗的なモラルを尊重して美少女の誘惑を遠ざけようします。

 そんな主人公が抱く男女交際の観念は明治時代ほどに頑迷です。いわく、ヒロインは処女であり、一途であり、高校生の間は清い交際でなければならない。現実の高校生の恋愛事情を見れば、こんなものがあり得ないことは、言うまでもありません。

 作者の理想を書いているのでその点は許容できますが、主人公と敵対するのが毎度好色なチャラ男であるのはさすがに思慮が足りないと言うべきでしょう。実際、モテる男は好色に傾くのが自然ですし、それが悪であるとは誰も判じることはできません。私が日頃残念に思うのはこのような規格品のような道徳が平気で使われている点です。

 他人の意見に振り回されない人間に私たちは尊敬を抱きます。しかし、その人が通俗的なモラルに従い、集団に組み込まれるのであれば、それは俗物と変わりなく、魅力を見出すことができないのです。

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