加藤周一について Ⅰ

 加藤周一(1919〜2008)は戦後日本を代表する評論家で、古今東西の書を読み、国内外の大学で教鞭をとりつつ数多くの著作を世に出した。一時、立命館大学の国際関係学部の客員教授、平和ミュージアムの初代館長を務めた。

 その縁もあって、死後蔵書が加藤周一文庫として同校平井嘉一朗図書館へ寄贈された。


 戦後まもなく日本を離れ、諸外国で生活し、彼我の文化を考察し、日本文化に視線を向けた。

 主著『日本文学史序説』では、小説、詩歌に限らず、宗教、思想、歴史、農民の檄文までを扱い、従来の狭義の文学概念を広め、日本文学に固有な発展の型を考察した。

 例えば、源氏物語から本居宣長までの和文を中心とし、美的感受性の洗練に傾いた「文弱」な文学史に、空海から菅原道真、荻生徂徠、新井白石に至る漢文の名手を加える。

 漢文の明晰で簡潔な表現、殊に文体としての意義を指摘し、漢文と和文の対立による和文の洗練、下っては西洋語との対立による日本語の洗練を積極的に評価した。

 戦中期に国体に迎合した日本浪曼派と京都哲学派によって、「慟哭の文学」「絶対矛盾の自己同一」という標語で片付けれた日本文学に知的な面を取り出した。

 また、個々の作家の選択(富永仲基や木下杢太郎)、画期的な併置(紀貫之と菅原道真、鈴木大拙と柳田國男など)は文学史を再構成できる可能性を示し、特定の作家に対する文章は部分として個性が光る。


 この書は文学史の叙述であるとともに日本文化の卓抜な思想史としても読める。とりわけ興味深いのは、外来の世界観(儒、仏、キリスト教、マルクス主義)に対する土着化の世界観を足場とする日本化を通時的発展の公式としたこと。

 万葉集の仏教的世界観の欠如、鎮護国家に見られる現世的功徳の優先、徳川体制の朱子学の体系的抽象性の分解と実際的な制度への還元にその例をみる。


 それと共に、旧をもって新を加える歴史的発展の型を、短歌、俳句、自由詩型の共存と能、狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎、大衆演劇、新劇の共存から導く。

 「極端な保守性(天皇制、神道の儀式、美的趣味、仲間意識など)と極端な新しいもの好き(新しい技術の採用、耐久消費財の新型、外国語を主とする新語の濫造)」は日本文化の二面であり、神仏習合は異なる価値観の併存を可能にした。このことは自身の評論「日本文化の雑種性」に連なる。


*字数をかなり制限した書いたものです。加藤周一についてはこれからも書いていくつもりです。今回は、緊密な文章を書くことを意識しました。

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