[私詩]『うらがえり』
怒りを笑いに変換することすら悪なのだとしたら、笑うことすら許されない。
笑うことすら許されないのであれば、善いことなど一つもない。
呆れ去ることも逃げ惑うこともできない荒波に呑まれてしまえば、誰一人として抜け出せない。
誰からも理解されないと畏怖することが怒りに繋がるのであれば、恐怖の感情すらも否定されてしまうだろう。
謎に包まれた自己を謎から引き出す為には、皮を剥ぐしかないのだろう。
肉体として存在する皮膚を破り捨てて初めて魂が見えるのであれば、魂などは存在しない。
からだだけが存在するなら、こころは嘘となる。
猫のように生きられないのであれば、千円札を握り締めて涙を流すことしかできない。
学ぶことが悪なのであれば、教育そのものを否定することにもなる。
誰しもが馬の骨だの鹿の角などに興味を抱かないのであるから、肉を食らって生き続ける。
それが自身のからだを痛めつけ、存在しないこころを汚していることに気付かないまま死んで逝く。
死して尚、こころが存在しないのであれば、全ての哲学に意味など無い。
無知の知を肯定するのであれば、学問の全てを否定することになる。
時間だけが平等に、全てのからだを腐敗させて行く。
飛び廻る蠅が蛆を産もうと、腐敗し切った地球では、誰一人として気にも留めない。
誰も彼もが同じ場所に居られるのであれば、空間の概念すらもいらなくなる。
時間を享受することだけが、からだが望むことなのであれば、私たちは理解すらも求めなくなる。
一人一人が全て足り得るのであれば、私の存在価値が無くなる。
それすら享受することが、世界に参画することなのであれば、文章を綴ることすら意味がなくなる。
この一切を否定するのであれば、生きている意味が見つかるだろうか……
全てに意味など無いと言うのであれば、死ぬ理由すらも無くなるだろうか……
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