利己を極めると利他になる(応援哲学)
12月18日(水)、能登出張10日目。15〜17日の民宿体験を終え、20日の帰省まであと二日の宿泊は御祖の里になる。
12月の能登出張もいよいよ終盤戦だ。
9時半から約2時間に亙り、中能登町役場で打ち合わせを行なう。OUEN Japan 信念会の段取りの確認や地方創生アドバイザーとしての各セクションからのヒアリングの報告等、盛りだくさんの内容だ。
地方創生アドバイザーとして、OUEN Japan の活動内容が少しずつ具体的に見えてくる。しなければならないことは山ほどある。私一人では何もできない。
中能登町の町民の皆さんやOUEN Company の皆さんのお力をお借りして、このミッションを果たしていこうと思う。
午後は、私が顧問をしている会社の依頼で、七尾市とのセッティングを行なった。
能登半島地震で奥能登地域のみならず、奥能登に接している七尾市も被災状況は半端ではない。地震のみならず大雨被害も気候温暖化で、何十年に一度の被害だったものが最近は日常茶飯事に変わりつつある。
そのためにも能登地方に焦点を当てて、被害を最小限にする対策を取っていかなければならない。国の大方針の下、七尾市への提案となったものだ。
今、OUEN Japan は、OUEN NOTOに特化した動きをしている。その意味は能登の復興、地方創生のためだけという狭いものではない。能登をモデルケースとして、能登の成功がコピーとして全国の過疎地に展開できる。いや、首都圏をはじめとした都会においても他人事ではない。少子高齢化、人口減少社会は21世紀の避けることができない現実なのだ。そのリードオフマンに能登地方がなるという果敢な挑戦なのだ。
そんな高い志を持って能登の復興、地方創生に取り組むことが不可欠と思う。
七尾市から、「前向きな検討をしたい」とありがたい回答をいただき、長丁場にはなるが、じっくり腰を据えて国のために取り組みたいと思う。
18時半から、中能登町役場の山邉課長を介して、林大智教育長と一献を傾ける機会を持つことができた。
林さんは、私が育った在所(能登部上)の隣の在所(西馬場)だ。西馬場の鵜埋塚の近くだと。
林教育長は以前中能登中学校の校長先生もされていて、教育者として一家言をお持ちの方だ。”地方創生には人財教育が一丁目一番地”だと熱く語られる。
私も銀行時代、7年以上に亙り、採用・研修・人事企画等、人を育てること、人財育成に従事してきた経験がある。また、平成26年にOUEN Japan を立ち上げたのも、これからの日本の未来を担う日本人大学生や来日留学生を応援していきたい。そして私たちが住み、働き、学ぶ地域社会を皆んなで応援していきたいとの想いがあったからだ。
武田信玄ではないが、"人は石垣 人は城。情けは味方 仇は敵"なのだ。
人財を育てること、人を思いやる人を育てること、自分ごととして生まれたふるさとを愛する熱い心を持った人財を育てることが、地方創生につながる。
人財教育は、学校教育に限らない。社会人になっても、私のような高齢者になっても、命の続く限り、心を高め続けることだ。世のため人のためにつくすことだ。
私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。
一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。
より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。
利他、無私は稲盛哲学の真髄だ。
しかし、その道を極めることは、私のような凡人にとってはあまりにも迂遠なことだ。しかし、そんな迂遠な頂点を目指すことを止めてしまえば、あとは奈落の底に落ちるしかない。
私なりに考える。
人間は利己的動物だ。全て生きとし生けるものは利己を追求して生きている。
では、その利己とは何か?
利己とは自分の幸せを追求すること。皆んな幸せになりたいと思って生きている。
では、その幸せとはどういうことだろう?
私は人の喜ぶことをした時、その人は私に「ありがとう」と言ってくれる。言葉だけではなく、お礼の品や金銭をいただくこともある。そんな時、私は幸せと思う。
人のものを盗んで自分のものにしても、それは幸せとは言わないだろう。手元に金品があるという現実は同じだが、その心根は真逆だ。要は心の問題なのだ。人のために尽くすことは利他であり、それは最高の利己なのだ。
これが私の応援哲学になった。ぐるっと回って利己は利他に辿り着く。利己を追求することだ。利己を極めることだ。そうすれば、必ず利他に辿り着く。
そんなディスカスを中能登でやってみたい。
「そりゃなんだ? 小林さん、分からないことを言う」
と、どんどん矢や槍や銃弾が飛んできてもそれでいい。それがいい。
本音でぶつかり合うこと、自分ごととして中能登町を考えること。”人は如何に生きるべきか”、”人は何のために生きるか”を自分なりに突き詰めること。それが幸せにつながる。それが幸せである。それが中能登町が生き生きとした元気な町になっていくことなのだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)