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女は度胸、男は愛嬌

コロナが収束に向かい、日常の活動は公私とも活発になってきた。私は人と人をつなぐことを生業にしているので、リアルな人との対面があることで生業は活性化し、人さまのお役に立つことができる。

✴︎大学生&留学生の応援団の復活活動は、来年度を目処に、New OUEN塾でリスタートしようと思っている。それまでにそのベースづくりに邁進することだ。

基本的に「来るものは拒まず、去るものは追わず」が私のモットーであるので、声を掛けられたら「よくぞ私をお誘いくださいました」と言う思いで、よっぽどのことがない限り、お誘いいただいた集まりには参加することにしている。 

勿論、言うまでもないが、私は仕事柄およびキャラクター的にも、私が主催する集まりを定期的に催している。そのお返しの意味もあり、私の集まりに来ていただいた人からのお誘いは「応援の心」で以て対している。

ようやく、コロナが収束しつつあり、いつもの平常な時代になってきたようだ。ありがたいことだ。

齢70にもなると、サラリーマンをしていた同輩たちのほとんどは、第二の職場であっても、勤めている人は極少数になっている。
皆さん、それなりの大企業に勤めていらしたから、年金は厚い。子どもにお金は掛からない歳でもあるし、壮年時代よりもお金は使わないだろう。
そうであるから、皆さん、悠々自適の生活を送っていらっしゃる。そして、仕事をすることにあまり積極的ではない人が多い。
しかし、ゴルフ三昧、旅行三昧の生活も、長い老後を満足させるものではないだろう。おせっかいを承知でいうが、私の価値観から見たら、なんと「張りのない人生」なんだろう、そのような人生は楽しくないだろうと思う。
「そんなことをしていると"認知症"になってしまいますよ」と言って差し上げたくなる。チコちゃんではないが、「ボーッと生きているんじゃないよ」と言いたくなる。

私のようなフーテンの寅さんは、自分の歳を考え、「一病息災」で、一層健康には留意して、「生涯現役」で仕事をする、それも「世のため人のため」を大上段に掲げて、仕事をすることが一番性に合っている。
それが認知症予防にもなり、人のため世のためにもなる。一石二鳥だ。

政治家先生の生涯現役は、「権力の魅力」だろうが、ほとんどの先生方は、その権力を手放すことに抵抗があって、それにしがみつく人たちが多い。そんなことをしているから、後輩の先生たちに煙たがられる。主役を手放さないのだ。

「いや、老人の正しい生き方はそうではないだろう」と私は思う。

なぜ、もっと先のことを考えないのか。いつまで主役に拘って生きようとするのか。人生は有限なのだから、自分のミッションを託す後輩を育てていく"大乗の心"を持つべきではないか。なまじっか、偉くなると昔が忘れられなくなって、それに固執してしまうのだろうか。

銀行で偉くなったある先輩は、「小林は偉くならなかったから好きなことができるんだろうな。なまじそれなりに上の立場になってしまうと、それに縛られて、思っても小林のような動きができないんだなぁ」とちょっと羨ましがられた。
偉くならないのが一番私に相応しい人生なのだ。

これからの私の第二生は、脇役に徹する「応援」という黒子の応援団長として、若い人たちにどんどん主役を張ってもらうことがベストと思っている。
若者の足らずを埋めることを自分の役割と自覚して、そのように考え行動(考動)する。
私には、まだまだ私しかできないやるべきことがある。それを、志高い若者に黒子の立場で提供するのだ。
そうすれば、若者に歓迎されこそすれ、決して邪険にされることはない。

私は、自ら、サラリーマンの出世街道を外れて生きてきたので、何も恐れるものはない。「ど厚かましいけれども、嫌われない」生き方をすることだ。

アンナは私を「真面目なコメディアン」「日本に来て初めてこんな人に会った」と言ってくれた。「こんな人」とはどんな人か言わなかったが、きっと褒め言葉だろう。それは最大限の褒め言葉だ。
また、私がblogに書いた柳生家の家訓の感想をLINEで、「人生を変える箴言だ。私も大才になろうと思う」と書いてきた。
私も大才を目指して、不退転の決意でアンナのサポートをしようと思う。

【柳生家の家訓】
小才は、縁に出合って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を活かさず
大才は、袖すり合うた縁をも生かす

【柳生家の家訓】

また、ある人は、「小林は違和感の塊だ。『東大、南青山、アンナ』と3つの違和感がある。それで、否が応でも人は、そのことで、誰も小林のことを忘れることはしないだろう。その違和感が小林の誰も持っていない強烈な魅力だ」と。
私の個性をそのままに、裏表なく存分に発揮して、人のために世のために尽くすことだ。
何とありがたい私への評価だことか。

また、ある人から、「昔から『男は度胸、女は愛嬌』と言われてきたが、これからの時代は『女は度胸、男は愛嬌』の時代ではないだろうか。
『強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない』時代でもある。
賢女は、実に度胸がある。男勝り、男前の言葉通りだ。
その賢女を支える男は愛嬌がなければならない。小林の第二生は、それを地で行く人生なんだろう。ますます、頑張りたまえ」と私を煽ててくれる人がいる。
「豚も煽てりゃ木に登る」ではないが、私はこれから木に登ろう。
実に、私は煽てに乗りやすい。

SDGs、D&Iと時代は変わっていく。私も生まれ変わって第二の人生を生きている。第二生の1歳だが、70歳の老人であることには変わりはない。
これからは、今の時代に相応しい老人になっていこうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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