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敬老の日に思う

昨日(令和5年9月18日(月))は[敬老の日]だった。

現在、私は満70歳。まもなく11月で71歳になる。

昨年は、数え70歳の6月に瑞華院了聞(南麻布)にて[生前葬]を行ない、その日の午後に、日本青年館(明治神宮球場の向かい)にて、新たな第二生の誕生日祝いの[出陣式]を開催した。
この2つのイベントは、私にとって大きな人生の区切りになった。

今年は、東京六大学野球1972年入部(私の1年後輩たち)の皆んなで、私と同じく、日本青年館にて、10月1日(土)に、「東六1975・古稀を祝う会」が執り行われる。

古稀を迎えるにあたって、6校の同期メンバーが神宮球場の向かいの日本青年館に集い、半世紀前を懐かしみ、これからの東京六大学野球を語る会を催すものだ。
東京六大学野球も開闢以来100年を迎えようとし、お世話になった神宮球場も建て替えが決まり動き出したというタイミングだ。

これは、会の趣旨からして、野球部が言い出しっぺになったものだが、共に戦った応援団と合同の会になったのだ。

私は彼らの1年先輩だが、1年後輩の東大の冨樫弘史さんからお声かけいただいて、参加させていただくことにした。

半世紀前と言ったら、私は20歳、大学3年生だ。まさに「青春の真っ只中」だ。

私は昭和49年度の東大応援部の主将(団長)を務めた。
私が幹部の時は、法政大学卒業後ジャイアンツに入団した江川卓選手をはじめ、春夏の甲子園で活躍した選手が東大以外の5大学に入った年だ。この甲子園組の何人かは、1年の時からレギュラーに選ばれた。

そのこともあって、テレビ神奈川は東京六大学野球の全試合を放映した。
それだけではなく応援席にもカメラが入り、私も東大の応援団長であったこともありインタビューを受けた。
民放テレビのバラエティ番組(「ベルトクイズQ&Q」司会は押坂忍さんや、「銀座ナイトナイト」司会は土居まさるさんと田中真理さん)などにも出演させていただいた。
「週間ベースボール」でも「東京六大学野球特集」があり、応援団もご相伴させていただいた。私は「丸坊主の東大応援団長」と紹介された。

その時代は、長嶋茂雄さん、田淵幸一さん・山本浩二さん・星野仙一さんの時に勝るとも劣らない、東京六大学野球が注目された時代だった。

私は、そんな時代とともに青春を謳歌したのだ。幸せな青春時代だった。

それは半世紀前のことだ。
今、皆んなはどうしているだろうか。青春の息吹をそのまま感じながら生きているだろうか。

70歳の老人であっても、「心は青春」だ。
素直に肉体の衰えを受け止めて、これからの人生を新たな青春の息吹を感じて生きていく。しっかりと、第二の生のミッションを持って生きることだ。

【青  春】
原作 サミュエル・ウルマン  
訳詞 岡田義夫

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く  
疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く  
恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

[参考]
https://www.shop.post.japanpost.jp/column/keirou/keirou_origin.html
から

[敬老の日]
敬老の日は、9月にある「国民の祝日」のひとつです。
「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の改正により、2003年から毎年9月の第3月曜日に改められました。
「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」が趣旨であるとされています。

[敬老の日の歴史]
敬老の日のルーツは兵庫県北播磨にある多可町(当時の多可郡野間谷村)とされています。
当時の村長(門脇政夫)が「お年寄りを大切にして村の発展のための知恵を借りよう」と提唱し、敬老会を開催したことが発祥とされています。
当初より、高齢者であるおじいちゃん、おばあちゃんを大切にする目的があったのです。

[9月15日が敬老の日になった由来]
国民の祝日である「敬老の日」が9月15日だったのには、いくつか説があります。
一つ目は敬老会の開催日が9月15日だったからというもの。
二つ目は、聖徳太子が大阪の四天王寺に悲田院を建立した日だからというものです。悲田院は、現在の老人福祉施設のような場所だったため、敬老の日が生まれたという説があります。
三つ目は、717年に元正天皇が養老の滝に御幸した(訪れた)日という説です。

[敬老の日の変遷]
2023年の敬老の日は9月18日(月)ですが、以前は9月15日でした。
2001年の法改正によりハッピーマンデー制度が導入され、2003年から9月の第3月曜日に変更されたためです。
ハッピーマンデー制度とは、祝日の一部を月曜日に移動することで、土曜日・日曜日の週末と合わせて3連休にする試みのことです。
制度制定後、敬老の日のある週は、同様に国民の祝日である秋分の日と近いため、暦によっては秋の大型連休になることがあり、別名シルバーウィークとも呼ばれています。

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