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聡明才弁は第三等の資質〜もう、きみには頼まない〜

私は、人と人をつなぐことを生業にしている。そのため、老若男女を問わず、さまざまな業種の多くの人たちとお会いする。
[OUEN Japan]の設立のきっかけは学生(日本人大学生、来日留学生)の応援団になることだったから、20歳前後の若者たちとも友だち感覚でお付き合いしている。そのため、気持ちは当然、若返る。

また、私の生業は、人に人をご紹介することだから、当然ながら"人の品定め"をすることになる。
私が信頼する人に人をご紹介するのに、「何で、こんなとんでもない人を私に紹介するのか」と思われると、相手に大変失礼だし、そのことで私の信用はガタ落ちになって、その人との関係も悪くなってしまうこともなきにしもあらずだ。

だから、"上から目線"と思われようが、どうしても"人の品定め"をしなければならないのだ。

私はこのことを生業にして15年以上になるから、相当目が肥えてきたと自負しているが、人間なかなか完璧とはいかない。間々、失敗をしでかすことがある。

私の目が正しければ、それは[期待通り]ということになる。そして、この比率は少しずつ高まってきている。
外れるケースは、その一つが、ことば通りの[期待外れ]だ。もう一つの外れるケースは、[期待以上(掘り出し物)]
同じ期待外れでも、前者は、人にご紹介するわけだから、ご迷惑を懸けることがある。後者は、そもそも期待していなかったのだから、私は人にご紹介はしない。後者の期待外れは、掘り出し物を見つけたということで、私の気分はとてもいいのだが、前者は人さまにご迷惑を懸けることもなきにしもあらずなので、全くいただけない。

よくよく考えると、前者の期待外れの人は、聡明才弁の人に多い。聡明才弁だから、私はそれだけで、その人に下駄を履かせてしまう。高下駄を履かせてしまうのだ。
それがいけない。期待外れになると、それはそれはガッカリだ。私の目はふし穴だったのかとちょっと情けなくなってしまう。

特に、若くて、聡明才弁だと、その比率が高くなる。
私は東大卒だが、そんなに聡明才弁ではないことを自覚している(だから、私ならではの得手を磨いて、東大卒とのギャップの大きさを売りにしているのだ)。だから、私にとって同窓の聡明才弁の人物を、特にエコ贔屓してしまうところがあるようだ。
だからということだろうが、期待外れは、どうしても東大や京大のOB・OGや現役に多いような気がする。それは、私が東大や京大という看板を買い被っているからなのだ。聡明才弁は、これ第三等の資質(呻吟語)だとよく分かっているのだが、その聡明才弁に、私は多くを期待してしまうのだ。

深沈厚重(しんちんこうじゅう)なるは、是れ第一等の資質なり。
磊落豪雄(らいらくごうゆう)なるは、是れ第二等の資質なり。
聡明才弁(そうめいさいべん)なるは、是れ第三等の資質なり。
──呂新吾『呻吟語』

中国明代の著名な思想家である呂新吾は、リーダーの資質についてその著書『呻吟語』のなかで、次のように述べている。

「深沈厚重なるは、これ第一等の資質」、つまりリーダーとして一番重要な資質とは、つねに深く物事を考える、重厚な性格を持っていることであり、かつ私利私欲を抑えた公平無私な「人格者」でなければならないという。

さらに呂新吾は、「磊落豪雄なるは、これ第二等の資質」、つまり物事にこだわらず、器量があるのはその次に位置される資質であり、最後にくるのが「聡明才弁」としている。
「聡明才弁なるは、これ第三等の資質」、つまり、「頭がよくて才能があり、弁舌が立つこと」などは、リーダーに要求される資質の中では一番優先順位の低いものでしかないという。

現代社会の荒廃の原因は、洋の東西を問わず、「第三等の資質」つまり「才覚」だけを持ち合わせた人がリーダーに選ばれていることにあるのだ。

政治に然り、企業に然り。
真のリーダーはどこへ行ってしまったのだろうか。

まさに、昨今の自由民主党しかり。

そして、そんな聡明才弁だけの人には、私は「もう、きみには頼まない」と思うのだ。

「もう、きみには頼まない」〜石坂泰三の世界〜(城山三郎著)

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無事是貴人――何事も無いのが最上の人生。この言葉を信条としながらも、頼まれたらどんな難事も引き受け取り組んだ実業家・石坂泰三。
第一生命を日本有数の保険会社にし、労働争議で危機を迎えた戦後の東芝を立て直し、経団連会長として日本経済の復興を任され、国家事業となった大阪万国博覧会を成功に導く。まるで流れのままに身をゆだねるような人生を歩みながら、一方で、どんな権力者にもおもねらず、あくまで自由競争を旨としたその経営哲学を、城山三郎が描く。


改めて、呻吟語を読み直そう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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