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「生前葬&出陣式」の勧め ⑵

3時前に目覚めた。私にとってはちょうどよい時間帯だ。起きて、徒歩2分にある事務所に出向いた。
いつもの生暖かい空気の朝ではない。吹く風に少し秋の気配を感じることができる。
異常な夏はまだまだ続くだろうが、日々秋の足音は高まってくるだろう。
人生もそんなものだ。耐えて耐えて、コツコツコツコツと地道に真っ直ぐ歩いていけば、少しずつでも夢は近づいてくる。
ネバーネバーネバーギブアップ!!

昨年70歳になったことを機に、生前葬&出陣式を行なった。
こうして人生を区切って生きてみると、二つの人生を送っているという「お得感」に加え、今生きている「第二生」が上り坂の人生であるという「充実感」に喜びを感じている。


相田みつをさんは、
「しあわせはいつも自分のこころがきめる」
と書を認めていらっしゃるが、まさにその通りだ。

特に、サラリーマンであれば、一般的に、「定年」という人生の峠を境に「下り坂」の人生が始まる。
その「下り坂」を、ゆったり、ゆっくり、下界を見下ろしながら下っていく人生は、それはまた楽しかろうが、そのような人生は私の性には合っていない。
さりとて、若い時のようなアルプスを垂直登攀するような人生は、「第一生」の時の専売特許だろう。

ではどんな第二の生を送るのか。
ゆったり、ゆっくり、頂上を目指して上る(登るのではない。「上る」のだ)、「上り坂の人生」が私が目指す理想の人生ではないか。

それは脇役の人生であり、人を援ける人生だ。それはすなわち「応援人生」だ。若い時から私が目指していた「応援人生」とはそんな脇役人生だったのだ。

私はずっと主役になろうとしてきた。それが目指す人生だと思って今まで生きてきた。それと同時に「応援人生」を生きていきたいと思ってきた。しかし、「両雄並び立たず」だ。だからその「応援人生」はどこか中途半端なものになっていたのだと思う。

ちょっと考え方を変えてみよう。
脇役人生の主役をすることだ。主役を支える脇役という主役を演じることだ。
押しも押されもせぬ「脇役人生の主役」を演じることだ。

その区切りが第一の生の生前葬であり、第二の生の出陣式だった。

私の人生は変わった。
第一生の全て、成功も失敗も、人間なら人に言えないこともある。それは決して人生を真っ直ぐ生きてこなかったことではない。真っ直ぐ生きてきたからこそ、そんな人に言えないこともあったのだ。だから、人間は成長する。

それら全てを肥やしにして、それを第二生の基礎にする。第一生が第二生の基礎工事だったのだ。
そんな七転八倒、紆余曲折を経て、人は成長していく。それをベースにしないで、第二生を「上り坂の人生」にすることはできないだろう。

生前葬では、戒名という「第二生の本名」を授けていただく。その戒名の意味は、第二生を生き抜いていく「指針」になる。

私の戒名は、「不動院重陽博愛居士」だ。
不動の心で、ブレない人生を生きることだ(不動院)。
そして、私の周りに集まってきてくれる、「陽」のエネルギーを持った、熱き心、温かい心、真っ直ぐな心、明るく天真爛漫な人たち(重陽)を、広く愛し世の中に愛を広める(博愛)、そんな人(居士)になる。

そのような人になりたいと日々思い続けて、その想いを行動に移す。形にしていく。
それが、私の戒名である「不動院重陽博愛居士」の意味だ。

このように、生前葬&出陣式と戒名には、人間がしあわせな人生を送るための素晴らしい効用があるのだ。

是非、しあわせな人生を送りたいと思うならば、生前葬&出陣式と戒名をお考えされることをお勧めする。

その時期は、人生100年時代では、
半ばの知命の50歳から、古稀(従心)の70歳の20年間のうちがいいだろう。

サラリーマンは定年を機に、またオーナー経営者や自由業、自営業の方は、思い立ったが吉日、いつでもいいだろう。

私は、上り坂の第二の人生を送ろうと思われる御仁には、「生前葬と出陣式を是非ご検討されたし」と強くお勧めする。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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