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高遠の旅を終える

29日茅野発17:52のあずさ50号で東京に帰る。新宿着20:08。1泊2日の高遠旅行はいろいろな思いを抱いた充実した2日間だった。

旅のスタートは新宿から。28日新宿発8:00〜茅野着10:06のあずさ5号で茅野駅に到着。黄さん夫婦の出迎えを受ける。2日間の運転手は林さんだ。お世話になります。

茅野駅(標高790m)から、山越で伊那市に向かう。目指すは、伊那市高遠町藤沢(標高946m)の黄さん宅だ。
いろは坂ならぬ、くねくねした山の坂道を走って、茅野市と伊那市の境にある杖突峠(標高1247m)の「峠の茶屋」で一休みする。
この休憩所の2階は無料展望台になっている。この展望台は、諏訪湖〜霧ヶ峰〜蓼科山〜八ヶ岳連峰を一望できる最高のビューポイントだ。

黄さん宅に到着。荷物を降ろして、徒歩5分の「日々茶寮 連」にてランチをいただく。
黄さんからは「絶品の蕎麦が食べられる日本蕎麦屋さんがある」と聞いていたが、さにあらず。蕎麦屋さんではない。高級割烹のお店だ。
ご主人は鎌倉で修行をされたのだとか。高遠の古民家の1階をレストランにしている。2階は住居のままらしい。前菜、メイン、デザートの9品。美味で満腹。アッという間の2時間を過ごした。

この店は、全て予約のみ受け付ける。営業日は金土日の週3日だけ。悠々自適でも、得意技を生かしての悠々自適とは、それは最高の老後の人生だろう(私はまだまだ、その悠々自適が当分送れそうもない。いや、マグロのように動いていないと寿命が尽きてしまうと、悠々自適を拒否しているのだから世話はないが)。

食事前に出会った元気で面白いおじいさん、古道具屋の山下亭の、こちらもちょっとユニークなおじいさん。私もおじいさんの一人だが、お二人とも私より歳上。ヨボヨボしていない。元気がいい。溌剌としている。二人とも発想がユニーク。生涯現役。超早起きで、仕事好き。これでは呆けない。
私もこんな大年寄りになりたいものだと思う。

昼にはお酒は嗜まなかったが、夜は黄さんの中国の手料理で、軽くビールと「天之藍」という白酒をいただいた。アルコール度数は50度を超えている。ちびりちびりとストレートに、それから水割り。ちょっとほろ酔い気分でやめた。

21時前には寝ただろうか、3時前に目覚めていつものblogを書いて、もう一寝入りした。

29日は、6時から1時間ほどの近所のウォーキングをした。黄さん夫婦は高遠に来たらいつもこのコースをウォーキングするのだと。

"仲良きことは 美しき哉"

ウォーキングの途中に、いつも黄さんがお世話になっている"油屋さん"(屋号)に立ち寄った。
この地区は同じ苗字の家が多く、皆んな屋号で呼び合うのだと。

私の田舎の能登もそうだ。私の生家はザンパッチャ。これは祖父が昔散髪屋をしていたから。向かいの小林はこまもんや。小間物店だったからだ。本家はキーサマ。代々男の子の名前に"喜"を付けていた。喜作、喜久雄、喜美男、喜一郎、喜良等々。本家だから、サマが付く。

この高遠も能登と一緒の田舎だ。

黄さんは、皆んなに可愛がられている。何でも相談されるようだ。もう在所の一員になっている。よそ者ではない。これも黄さんのお人柄だ。よその国にきて、どうしてそんなに早くこうなれるのだろう。黄さんのお人柄と言っても、私にはちょっと真似はできない。

中国式の朝食(朝粥)をいただいて、高遠と伊那の町に出かける。

高遠歴史博物館、絵島囲い屋敷、高遠焼きの窯元の店。

高遠には高遠城があった。戦国時代から江戸時代まで、城主は転々と変わった。高遠氏→秋山氏→武田氏→仁科氏→下條氏→保科氏→毛利氏→京極氏→鳥居氏→そして最後に内藤氏だ。
新宿に内藤新宿があるが、ここには内藤氏の江戸下屋敷があったところだそうな。
こんなに転々と城主が変わったということは、ここが国を治める要衝の地ということか。高遠は歴史に翻弄された町なのだ。

また、江戸時代中期にあった江島(絵島)生島事件の絵島が流されたのがこの高遠だとは知らなかった。
絵島は高遠藩主内藤清枚にお預けになって、囲み屋敷で生涯を閉じた。

博物館の近くにある高遠焼きの窯元のお店で、妻が小さい名もなき花を生ける花生けを買い求めて、黄さんと私にくれた。名もなき花も花。その花を愛でる心を大切にしなさいということだろう。

高遠ダムと美和ダムを見学した。
その日のランチは七面亭で、高遠そばセット。
午後は、伊那グリーンファーム、高遠食彩館(高遠のスーパーマーケット)。こんな何でも売っているところは東京にはない。面白かった。

そして、中能登を思う。
ちょっとの工夫、皆んなで知恵を出し合って、中能登が能登復興の中心になれるのではないか。
高遠に来て、とても刺激を受けた、中能登町は恵まれている。これを一層ブラッシュアップすることだ。

人と人とのつながりは時間の長さではない。その密度は思いであり、愛であり、人への思い遣りである。

温かい思いを心に宿して、花の東京に戻ってきた。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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