苦労が人をつくる
人生70年を振り返り思うことは、「人間は、たとえ凡人であっても、さまざまな経験をして、苦労を重ねることで、少しずつでも成長していくものだ」と言うことだ。
能登で生まれ、中学生まで祖父母に育てられ、高校は金沢大学附属高校に進学した。
実家から高校まで通うと1時間半以上かかるため、それでは勉強に差し障りがあるだろうと、徒歩で20分はかかるだろうか、金沢市寺町に下宿し、勉学に励んだ。
私たちの頃の金沢大附高は1学年が150名の3クラス(今は1学年120名の3クラス)のこじんまりとした高校だった。
150名のうち90名は附属中の出身で、能登生まれの私から見たら都会の垢抜けた生徒ばかり(附属中出身の男子は皆長髪、それ以外の中学出身の男子は金沢の中学でも丸刈りだった。能登出身の私は当然丸刈り)に見えた。
田舎育ちの15歳には、彼らは眩しかった。ちょっと引け目を感じた。
入学時に丸刈りだった同期は、私ともう一人を除いて長髪にした。
高校生活はどうなることか、ガリ勉で暗い高校生活になるのかと思っていたが、私のキャラクターのせいか、皆んなは私を「おっさん」と呼んでくれて、仲良くしてくれた(背が高くカッコいいスポーツマンの附属中出身の同期は「おっちゃん」と言うあだ名だったが)。
「おっさん」と「おっちゃん」、似たようなものだが、前者はダサく、後者はカッコいいと言うことだろうか。
皆んな、半分、私をおもちゃにしていた節がある(今は、東京の同期会は私が永年幹事だ。同期の半分近くは東京在住)。
クラブの柔道部はあまり熱心ではなかったが、私は皆んなの人気者のところがあって、文化祭や予餞会では、私は「劇団 星」を結成し、十八番の「王将」や、当時スポコンもので超人気があった「巨人の星」を披露した。
石川県トップの進学校で、こんなことをやるのは、それは前代未聞のことだったかもしれない。
何だかんだ、私は全くの自然体で、金大附高に馴染み、人気者になって、受験地獄の高校生活とは真逆の楽しい3年間を過ごすことができた。
東大か京大を目指していたので、それなりに勉強はした。おかげさまで、現役で東大に合格できた。
東大ではボディビル&ウェイトリフティング部に入部したが、東大生がこのような部に入ると、オタクチックになる傾向があり、それは私の望むところではなかった。
その当時、大学紛争の後遺症もあり、東大応援部は部員が4名で廃部の危機だった。
朝日新聞の地方版に、「東大応援部、危機!、男なら東大応援部へ」と言う新聞記事(応援部の朝日新聞OBが同僚の社会部の記者に書いてもらったのだ)が載り、それを読んで応援部のドアを叩いた(今では東大応援部は80名を超える部員を擁する「不動の部」になっている)。
応援部の実にウェットなところが私の性に合っていた。理不尽なところもあったが、それを補うに余りある「人間性」でカバーする。
先輩が、「おい、一杯飲みに行くぞ」と言うと、後輩は、「どうも、ごっつあんです」と返す。
高校時代の乗りが、そのまま東大応援部に通用した。その流れを、私は安田信託銀行でも通した。だから、「絶対、銀行勤務は無理だ」と思っていたのに、何とか21年間勤務することができたと思っている。安田信託銀行もそれを受け入れてくれた。
能登〜金沢大学附属高校〜東京大学応援部〜安田信託銀行までの44年6カ月は、そんな苦労知らずの楽しい半生だったと思う。
苦労知らずで、皆さんに可愛がっていただいたのだ。
それは今から考えると、稲盛和夫さんが仰る、「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」と相似する甘やかされた私の半生だったのかなと思う。
皆さんに可愛がっていただいたのはありがたいことなのだが、それは私自身の人間的成長にはあまりつながらなかったのではないか。
天は、「博重、もっと苦労せよ」と私が世間の風に揉まれて成長することを望まれたのではないか。
「苦労は、買ってでもせよ」
「苦は、楽の種」
「苦は、成長のための磨き砂」
「先憂後楽」
「情けは、人のためならず」
(自分のための人への情けだ)
「人は、人のために生きる」
そして、44歳7カ月から、私が想像もしなかった「七転八倒、紆余曲折」の人生が始まった。
そして、44歳7カ月から70歳9カ月までの四半世紀以上の人生は、凡人の私を少しずつ成長させてくれた。
それは生まれてからずっと、人さまに可愛がられて大事にされてきたこと、素直に育てていただいたこと、そして幼子の心のままで70年間を生きてくることができたことがベースにあり、私の人間的成長につながっているように思う。
やはり、稲盛和夫さんの「6つの精進」が生きる指針なのだ。
6つの精進
1.誰にも負けない努力をする
2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省
(利己の反省及び利己の払拭)
4.生きていることに感謝する
(幸せを感じる心は"足るを知る"心から生まれる)
5.善行、利他行を積む
6.感性的な悩みをしない
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)