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読書から学ぶ

11月26日(日)。東京は霧雨で、真冬を思わせる寒い一日だった。
16時半から、横浜たまプラーザで五十肩の定期検診とリハビリ(五十肩は順調に回復している。ある同期は、「五十肩ではなく、七十肩だろう」というが、通称が五十肩であるのであり、その発症が70歳であっても七十肩とは言わない。そんなことはどうでもいいが、『心は青春、肉体は50歳』と前向きに思えば、精神衛生には非常によいのだ)があるだけだったので、「お昼を挟んでウォーキングでも」と思って事務所からペットボトル持参で外出したのだが、生憎外は霧雨だった。寒さよりも霧雨ではウォーキングに不適だ。傘を差してまでウォーキングをする意欲は湧かない。
そんなことで事務所に戻って、昨日買った佐藤愛子さんのエッセイを読むことにした。

①「楽天道」と②「老い力」を読んだ。

愛子節炸裂で、アッという間に、外出時刻(15時半)になった。

佐藤愛子さんと私を比較することは烏滸がましいことだが、私は彼女の人生の後半生の生き方に憧れるし、性格的にも似ているところは多々あるように感じている。

ただ、彼女とは、同じ自由業と言っても、その性質とレベルはまるで違う。比較にならない。

彼女は、彼女の文筆の才能で、一本独鈷の人生を送っていらっしゃる有名人だ。それも100歳で現役バリバリ。
私はと言えば、一人では何もできないごく一般の凡人であり、多くの信頼できる人たちのお力をお借りしなければ生きてはいけない。
そのおかげで、私独自の"応援道"を極めることができる。そして何とか
、七転八倒しながら生きている。しがない市政人だ。
所詮、比べようがない。

それでも、ど厚かましくも共通項(であると私が勝手に思ったところ)を考えてみた。

①"楽天道"を直走っている。
決して、楽天家という単純なものではない。それは、能天気な楽天主義ではないのだ。
人生を突き詰めて生きる"楽天道"なのだ。"柔道"や"剣道"、"茶道"、"芸道"という日本独自の"道"を極める人生を生きるということだ。
もっと大きく言えば、"惻隠の情"という"武士道精神"を極めるということだろう。
日本人である私は、まだまだその域には程遠い。これからの第二生、心底人生を極めて、"武士道精神"、"応援道"を血肉にしていきたい。

このエッセイ集を読んで思ったことだが、21世紀はグローバルな世界ではあるが、その地に生まれて根付いた文明・文化は、そんなに簡単にローカルからグローバルとはいかないもののように思う。
そのことをしっかり認識して、全てのことに当たるべきだろう。

佐藤さんはブレないでその道を極めていらっしゃる。そのブレない生き方が、100歳まで現役バリバリの文筆家として活躍なさっている要諦なんだろう。

②下らない"忖度"をしないで生きる。
楽天道の基本的ベースだが、自分を知り、自分を偽らず、真っ直ぐに、下らない忖度をすることなく、人生を生きていく。
それまでの人生で培って構築されてきた"人生哲学"は何があっても死守するのだ。

③バランス感覚を大切にする。
才覚で生きていらっしゃる佐藤さんだが、一匹狼ではあっても、人一倍、人さまのことを考えて生きていらっしゃるように思った。"恕=思い遣りの心"は、"バランス感覚"なのだ。
特に、際立って何の才覚も持ち合わせていない私のような凡人、人さまのお力を借りないと生きていくことができない人間は、この、"恕の心"、"バランス感覚"を持たないと、幸せな人生を送っていくことができないと思う。

④押し売りをしない。
人は人それぞれだ。自分の人生哲学を人に押し付けてはいけない。
人は、それぞれ自分で自分の人生を考えるものだ。私の生き方は、人さまの参考になる程度のことだ。

そして、私の場合は、集まってきてくださる方々とは、"緩やかな繋がり"であり、それが少しずつ強固になっていけば、それは幸せなことだと思うことだ。
私が目指すところは、"緩やかでも強固な人間関係"の構築だ。それは、基本的に、"来る者は拒まず、去る者は追わず"の人間関係がベターだということだろう。

佐藤さんのエッセイを読んでいて、ジェンダー平等(公平)とはなかなか一筋縄ではいかないもの、"東大一直線"というわけにはいかないことだなと実感感した。
これも、大きくいって、"バランス感覚"なんだろう。

ビスマルクの箴言を思う。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

凡人・愚者の私は、積み上がった経験の下に、加えて、もっと歴史に学ぶ必要があるのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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