一生青春、一生燃焼
私の外苑前の事務所で、七朋会幹事会を開催した。ホームページは出来上がってリリースしていて、"七朋の集い"(日時:11月30日(土)15時〜17時半、東大駒場生協食堂)で皆様に発表するための打ち合わせだった。リアルで9名が集まり、大阪と名古屋からWebで2名の11名だった。
打ち合わせが終わって、外苑前駅傍の中華料理"三喜園"にていつもの昼飲みを楽しんだ。私たち同期の老人は71〜72歳。60代が壮年だ。50代後半が青年。学生時代に戻って、ワイガヤを楽しんだ。
七朋会は、国立七大学(旧帝国大学)応援団(部)のOB・OG会で、私たち昭和50年3月卒のOBたちの同期会が発展したものだ。
七朋の集いには、私たち同期の他、後輩のOBOGや七大学以外の親しくしている大学応援団の仲間たちや応援団関係でない応援を愛する人たちも参加する。
総勢約100名が応援の演武を愉しみ、高歌放吟する。ただそれだけと言えば、それだけだ。
[時には振り向いてもいい。昔を懐かしむことで、将来に希望が持てるということが判明]
ライフハッカーでは以前「懐かしいことを思い出すと体が温まる」ということをご紹介しましたが、温まるのは体だけでなく心も同じようです。
サウサンプトン大学の研究によると、懐かしい記憶は将来の展望も引き上げるということが分かりました。ある研究で、昔の懐かしい出来事について説明してくださいと頼んだところ、単純に歴史上の出来事を説明するように頼んだグループよりも、前向きな表現が多かったのです。
懐かしい歌について説明するように頼んだ別の研究でも、同様の結果が見られました。Wildschut博士は、以下のように説明しています。
過去の思い出は、現在の自尊心を保ったり、未来に明るい展望を抱いたりするのに役立ちます。
楽観的な気持ちが押されることにより、懐かしいという気持ちが、精神的に辛い時に耐えられるようにしてくれることを示唆しています。
困難に直面しても1人でも乗り越えられるということではありませんが、昔の懐かしい経験を思い出すことが、気まぐれの役に立たない行為ということでもありません。
以上のようにいくつかの研究が証明しているということは、古き良き日を思い出すことにもメリットがあるということです。
国立七大学応援団(部)の同期と言っても、毎年夏に開催される七大戦(全国七大学総合体育大会)の1週間足らずしか集まることはない(今年の七大戦は、先週名古屋で開催された)。次に会うのは1年後になる。
試合の応援合戦と、繁華街のパレードのパフォーマンスと、朝から晩まで1日中かけての講堂(東大では安田講堂、名大では豊田講堂)での演武のパフォーマンスだけ。
夜の大宴会で盛り上がるのが、一番の親密になる機会だ。
たったそれだけのことで、私たち同期は実に仲が良く、友人関係は半世紀続いている。
それが後輩や先輩に伝播して、皆んなが七朋の集いで集まることになる。私は赤門鉄声会(東大応援部OBOG会)の有志や東京六大学応援団の仲間たち、OUEN Japanの仲間たちに声掛けして、参加者を募っている。
人と人とのつながりで生きている私の口癖は、"友だちの友だちは皆友だち"であり、"類は友を呼ぶ"だ。
ただそれだけのシンプルなフレーズが私の人生をつくってくれている。
そして、18歳〜22歳の学生時代に戻って、校歌・応援歌・学生歌・寮歌を懐かしく高歌放吟する。
過去を懐かしむことは、明るい将来を展望することである。今の白秋の季節に青春の息吹を思い起こし、青春の心意気でこれからの人生を生きていくということだ。
老壮青を併せ持ってこれからの人生を生きていく。自分は老であることを素直に認めて、それを卑屈に思わない。青年時代と壮年時代を経て学んできた人生の生きざまを老年の知恵にする。
100歳までのこれからの28年間を展望する前向きな人生観を持つことだ。それが幸せを呼んでくる。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)