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中能登町と能登の祭り

能登は祭りが多い。

私は、能登についても能登以外の地方についても、祭りに関しては何も分かっていない。

祭りに詳しい人から、「能登は毎月、毎週が祭りだ。毎日が祭りのような地方だ。能登は八百万の神を信仰する古き良き日本の原点のような気がする」と言われたことがある。
また、地域経済に詳しい信用金庫の理事長が仰るには、「能登は日本で一番、地域外経済のウェイトが高い地方だそうです。能登の里山里海の自然や能登の祭りが、全国から多くの人たちを惹きつけ、それで皆んな能登を訪れるんでしょうな。それに、能登には地元に大きな産業がないこともあって、地域外経済のウェイトが高いんでしょう」と。

能登で生まれ育った私は、「何にも能登ことが分かっていないのだ」と少し恥ずかしくなる。

私が能登の祭りで覚えているのは、毎年GWに開催される"七尾の青柏祭"くらいだ。物心ついた時から小学生低学年くらいまで、毎年GWには、祖父が七尾線で七尾に連れて行ってくれて、青柏祭の山車を見物したことを覚えている(私はどちらかと言えば、山車より、七尾の果物屋さんで台湾バナナを食べたことと、山藤家食堂で昼食を摂ったことの方が強い印象があるのだが)。
中能登町(旧鹿西町)には、食堂と呼ばれるお店はほとんどなかったから、幼い私にとっては山藤家食堂で摂るお昼が1年に1回の楽しみだったのだ。

果物屋さんのおばあさんは祖父と同い年くらいだった。その店が七尾のどこにあったか覚えていないが、山藤家食堂は、私がOUEN塾の協賛のお願いで恵寿総合病院やのと共栄信用金庫を訪問したおりに、いつも懐かしく饂飩や蕎麦をいただいていた。
つい先月(7月)も、恵寿総合病院に伺った帰りに、副団長と昼食を摂った。祖父の思い出とともに、幼い頃覚えた外食の味が懐かしかった。

青柏祭は5月のGWだが、能登では至るところで毎週のように祭りをしているそうな。
"輪島の御陣乗太鼓"も有名だ。能登の至るところで、春は豊作・豊漁を祈る祭り、秋は豊作・豊漁を祝う祭りがある。
雄壮なのは"キリコ祭り""石崎奉燈祭"等、何と言っても夏祭りだろう。

私の祭りの思い出といったら、青柏祭のほかに町の各在所の春と秋の祭りだ。祭りの日には、神社の境内や鳥居の周りにたくさんの屋台が出る。
私は祖母に駄賃を貰って、屋台でイカ焼きや風船などを買い求めた。クジを引いてもハズレばかりで、ガムばかり貰ったことを忘れない。
在所の祭りだから、祭りの日はバラバラだ。わざとバラバラなのだろう。祭りの日には、大人の男の人が親しい家を行き来する。夜の宴会を招待しあうのだ。嫁さんたちは、ご馳走をつくって彼らを歓待する。そんなふうで、春と秋は毎日が宴会の連続だ。
私も、私の在所の祭りの時は、たくさんのお客さんがいらして、自宅でいっしょにご馳走をいただくのだが、他の在所の親類の祭りの時は、呼ばれてご馳走に預かる。それが楽しみだった。タケノコ、いいだこ、茶碗蒸し、私が大好きなご馳走だった。
それくらいしか楽しみがなかったということだろう。


今年の10月5〜6日、中能登町徳丸にある能登貴船神社で、33年ぶりの"曳山祭り"があるという。
町長からお誘いがあった。他に、東京から[OUEN Japan]の仲間たちを連れてきては如何と。

下記のYouTubeは33年前の曳山祭りの映像だ。伝統ある祭りのようだ。中能登町にもこのような祭りがあったのかとちょっと驚いた。

今年(2024年)はちょうどその年にあたる。前回は1991年。前々回は1958年だ。
私は1952年生まれだから、前々回は私が6歳、まだ小学校にも上がっていない。それに、能登貴船神社は私の在所(上村)ではなく、隣の在所(徳丸)だから、この曳山祭りは全く私の記憶にないのも当然だ。

昨日、副団長から、[OUEN Japan]の重陽の会のメンバーを中心に、この曳山祭りのご案内を出した。いくら新幹線が金沢まで開通していると言っても東京から中能登までは4時間はかかる(私が大学生の頃は夜行列車で10時間はかかった)。
遠方だからどれだけの人が参加してくださるか分からないが、能登の復興の応援の一環ということで、何とかご都合をつけて参加していただきたいものだ。

[中能登町について]

中能登町は能登半島の南部、中能登地域にあり、南に石動山脈(石動山、碁石ヶ峰、不動滝)、北に眉丈山脈(雨ノ宮古墳群)に挟まれた、人口15千人強の織物の町、能登上布の発祥の町です。

中能登町は、世界農業遺産である"能登の里山里海"の里山です。中能登町に隣接している七尾市は七尾湾に、羽咋市は日本海に、富山県の氷見市は富山湾に面しており、中能登町から海には、それぞれ車で15分ほどで行くことができます。
中能登地域(七尾市~中能登町~羽咋市)は、細長い邑知地溝帯(邑知平野)でつながっており、邑知地溝帯は丘陵の多い能登半島の中で、狭いながらも唯一の平野です。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)



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