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大才になろう

福岡出張の2日目を終えた。
今日は、福岡では午前のアポのみ。
夕方に、ホテル椿山荘東京にて[石川県人祭in東京]があり、"いしかわ観光特使"として出席するため、東京に帰る。

福岡2日目の夜は、(株)シャンティの柴本信幸社長と赤坂の居酒屋で一献を傾けた。
やはり、福岡に来たら、玄界灘の美味しい魚を肴にして、九州の焼酎を堪能しないと、なんで福岡に出張したのか、出張する意味が半減する。

私は能登の生まれではあるが、生魚は全く以って苦手だ。と言っても、ウニ、イクラ、イカ、タコ、カニ、エビ、白身魚ならフグやヒラメは大好物だ。また、鮨屋でにぎりは気分によっては美味しくいただく。これは生魚を食べなかった祖母に育てられたからなのだろう。
昔は、これらの大好物の生も食しなかった。歳を重ねて、少しずつ食べることができる種類が増えてきた。

私は、魚類の生は苦手と思っていたのだが、さにあらず。気分屋のところがあるのかもしれない。しかし、皆んなが美味しいと舌鼓するトロや赤身のマグロは全く以って食指が動かない。「それを我が儘というんだよ」と皆んなはそう言う。
それと同じことで、私の人の好き嫌いもそんなところか。私は、"我が儘を貫くキャラ"なのかもしれない。

食べ物に当てはめて言うのも失礼なことだが、そんなことを考えると、柴本さんは食べ物で言ったら、大好物のウニ、イクラの類だ。
初対面はちょうど1年前だった。ある人の紹介で来社された。私と同じビジネスマッチングを生業としていらっしゃる。
誠実であり、人を裏切らない。義理と人情を弁えている。人を大切にされる。と言っても、キャラは私と同じではない。だから、馬が合うのだろうか。

私は、平成26年1月に、NPO OUEN Japan を設立した。
平成25年、理事就任のお願いに、当時の梶山千里福岡女子大学理事長兼学長(元九州大学総長)をお訪ねしたのが、月に4日も福岡に出張するようになったきっかけだ。もう10年も前のことだ。

OUEN塾の第1号も福岡からだ。そんなことで、福岡は私の第2のふるさとになった。
勿論、私が生まれたのは石川県であり、高校は金沢だったから、石川県と金沢市は私のふるさとなのだが、高校時代は、下宿と学校の往復の毎日だったから、狭い金沢だがあまり金沢の地理は詳しくない。

その点、福岡には10年来、頻繁に通っているから、庭のようなところがある。
福岡空港は都心に近く、街の中心の博多と天神は隣り合わせで、実にコンパクトなシティだ。地下鉄とバスで何処へでも行くことができる。
私は、タクシーのお世話になることは、出張帰りに福岡女子大学から福岡空港に行く時くらいだ。

また、海の幸とお酒は、金沢に勝るとも劣らない。

OUEN塾のおかげで、たくさんの地元本社の会社とも親しくなった。

しかし、福岡は広い。人脈開拓は掘っても掘っても尽きることはない。当然ながら、それを極めるのに私一人の力では限界がある。
そんなことを思っていた時に、柴本社長と巡り会ったのだ。今回の福岡出張も半ば、柴本社長の広い人脈からのご紹介だった。

人は一人では無力だ。私は誰よりも人のご縁で生きていると思っているが、いつになってもその限界にぶち当たる。そんな時、人のご縁をお借りするのだ。

"類は友を呼ぶ"

そうすると、人脈は無限に広がっていくのだ。自分が凸凹な人間であれば、素直な心になって、その凹んだところを埋めようとして、人のご縁を頼る。
そんなことで、私のような凸凹人間のほうが、人脈を拡げるには適していると言えるのかもしれない。

そのための心掛けは、素直な心、謙虚な心になって、自分自身を知ること、そして、自分は一人では無力な人間であることを悟ること、紹介してくださる人に感謝すること、そして決して人を裏切らないこと、きちんと形にしてお返しすること。
そうすれば、そのご縁は無限に拡がっていく。

小才は、縁に出会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合う縁をも生かす


柳生家の家訓

私は大才になりたいと思う。
肝に銘じたい"柳生家の家訓"である。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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