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人生には"サムシンググレート"がいる

22日(水)から24日(金)まで、2泊3日で石川県(能登と金沢)と富山県に出張する。
[NPO OUEN Japan]として、3月から、月1度の頻度で、能登復興応援のため、私の出身地である中能登町を筆頭にして石川県に出張している。

能登半島地震の震源地は奥能登であり、その奥能登は半島の先端という地理的に不利な条件のこともあり、復旧は遅々として進んでいない。まずは住むためのインフラ整備(仮設住宅建設や断水復旧工事等)の段階であり、それには公的機関に依存せざるを得ない。

[OUEN Japan]は、能登半島地震を契機に、過疎地の少子高齢化・人口減少が加速度的に進む現状を大前提として、住民が如何に元気で生き生きとして生活することができる地域社会が構築できるだろうかという問題意識を持って、能登地方9市町の中で唯一「人口戦略会議」が言うところの「消滅可能性自治体」ではない中能登町を、これからの過疎地のモデルの町にしたいと思っている。そして、中能登町から中能登地域に拡げ、能登地方全体に拡げていきたいと思う。
それが[OUEN Japan]のミッションだ。

そのためには、[OUEN Japan] を応援してくださっている[OUEN COMPANY]の皆さんのお力をお借りしなければならない。
[OUEN Japan] は、中能登町の人たちのお話しに耳を傾け、[OUEN COMPANY] の皆さんとの橋渡し役になる。中能登町の顕在的のみならず潜在的な課題解決にチャレンジする。そんなことで、毎月の訪問を重ね、その問題解決に相応しい[OUEN COMPANY]を同行いただき、具体的解決の段階にまで詰めていく。

昨日は、そのため、いくつかの東京の企業のヒアリングをした。また、ある企業からの具体的なプレゼンをいただいた。

一つの案件の話を詰めていると、そこから全く考えもしなかった別の案件の解決の糸口が見つかることがある。それも一度や二度ではない。
私がいつも言う"友だちの友だちは皆友だち"であり、"類は友を呼ぶ"であり、リアルが主でWebはあくまでも従だなとつくづく思う。

副団長と思いを共有する。案件を擦り合わせすることで、思いが共有できる。同じ方向にベクトルを向けないと、力が分散して成るものの成らなくなる。

お互いの人生を振り返る。
人生にはその時々、目の前にいくつかの進むべき道が提示される。どの道を選ぶか、その人の思いが決める。
また、自らが選ぶことなく、その道に進むこともしょっちゅうだ。それは偶然のようで偶然ではないのだろう。私たち人間には見えないのだが、きっと神様か仏様か、人はそれを天という人もいる。何か"サムシンググレート"が存在し、「この道を進め」とその道に導いてくれているのだと思うことがしばしばだ。その時はそうは思わないのだが、後になって振り返ってみると、「あぁ、あの時、サムシンググレートがいたのだな。そのサムシンググレートがこの道に導いてくれたのだな」と思うのだ。

私は71年間生きてきて、最大のターニングポイントは44歳の時だったように思う。
それまでは、世の中の多くの人たちがこれが人生の王道だと思っているだろう道を、何も疑問と思うことなく歩いていた。自動に動くエスカレーターに乗って、それでもそのエスカレーターを歩いていた。時には早足で、ジョギングで、はたまた全速力で走ることもあった。
44歳の時、何を思ったか、そのエスカレーターを自ら降りて、「あと半分の人生を悔いなく生きよう」と思い、道なき道を歩きはじめた。
何でそんなことをしたのかと後悔したこともある。しかし、それから四半世紀以上過ぎて、エスカレーターを降りて、それで良かったと思う。それはそれから出逢った人たちが全て私の人生の肥やしになっているからだ。
素晴らしい心根の人たちに出逢った。そうでない人たちもいたが、その人たちから多くのことを学ぶことができた。それが私の人間的成長につながったと思う。すなわち、出逢いは全ていいことづくめなのだ。何事も心の持ちようだ。
人生は一度しかない。私たちは素晴らしい人生を生きていると思う。

そんなことを語り合った。
人生を真剣に生きる人間同士が素晴らしい人間関係をつくっていく。
できるだけ、そんな人間関係をつくっていくことができる出逢いが多くあってほしいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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