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皆んなの力を寄せ合って、大器量人になる

西郷隆盛を評して、彼と交流があった歴史上の人物は皆、「西郷は、人物のいる中でも、その大器量たるや、その頂点にいる別格な人物だ」と言うようなことを言っている。

坂本竜馬は、
「西郷という人物は、小さく叩けば小さく響き、 大きく叩けば大きく響く、釣り鐘のような男だ。
もし、馬鹿なら大きな馬鹿で、 利口なら途方もなく大きな利口だろう」

また、中岡慎太郎は、
「西郷は学識がある、胆略あり、 常に寡言にして最も思慮深く、雄断に長じ、 偶々に一言を出せば確然人の肺腑を貫く。
かつ、徳高くして人を服し、 しばしば艱難を経て事に老練す」

さらに極めつきは、勝海舟だ。
勝は、「氷川清話」の中で、江戸城無血開城時の西郷の印象を、次のように語っている。
「西郷に及ぶことのできないのは、
その大胆識、大誠意とにあるのだ。
俺の一言を信じて、 たった一人で江戸城に乗り込む。
俺だって、ことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、西郷の"至誠"は、俺をして、あい欺くことが出来なかった。
ときに際して小籌浅略を事とするのは、かえってこの人の為に腑を見透かされるばかり、と俺も"至誠"をもってこれに応じたのさ。
この時、俺が感心したのは、西郷が俺に対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、談判の時も、始終坐を正して手を膝の上に載せ、少しも戦勝の威光でもって敗軍の将を軽蔑するというような風が見えなかったことだ。
その胆量の大きいことは、いわゆる天空海闊で、見識ぶるなどということは、もとより少しもなかった」

西郷隆盛は"敬天愛人"を好んで使った。稲盛和夫さんも、座右の銘としてこの言葉を愛された。

https://biz.trans-suite.jp/18138

「敬天」の「天」とは空というより、「大自然の力」や森羅万象のように「この世界にあるすべてのこと」、時には「神」のことだと解釈されます。

「敬天愛人」の由来は、”康煕字典”

「敬天愛人」という言葉は、中国の清の時代の字典「康煕字典(こうきじてん)」(1716年成立)の編纂を命じた康煕帝が、額に「敬天愛人」と書き、キリスト教に与えたのが初めて「敬天愛人」が使われた起源だとされています。

その後、日本では明治初期の啓蒙思想家であった中村正直がサミュエル・スマイルズの『自助論(ヘルプ・セルフ)』を翻訳・出版(1871年)したときに、「敬天愛人」を紹介しました。

「敬天愛人」の「天を敬い人を愛する」という考え方が、経営においても自己の利益追求のための経営ではなく、"経営とは、世のため人のためになされるべきものだ"という考えがあるからだ。

では、「天を敬い人を愛する」とはどういうことなのか。

道は天地自然の物にして 人は之を行うものなれば 天を敬するを目的とす

天は人も我も同一に愛し給うゆえ
我を愛する心を以て人を愛する也
人を相手にせず 天を相手にせよ

天を相手にして己を尽くし 人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし


西郷の思想は、現代のSDGs、ジェンダー平等に通じるのではないか。

江戸末期の男尊女卑の時代に、どうしてこのような人類愛溢れた、崇高な思想を持つことができたのだろうか。
稲盛和夫さんは、私にとって平成の西郷隆盛のような方だった。
その無私の心、利他の心、全ての人を愛する心は、私が生涯をかけて目指す人物像である。

日々、私流にビジネス&ボランティアをしていて、地道な一歩一歩ではあるが、朧げながら、目指す灯りが見えてきたことを自覚する。
しかし、まだまだ千歩の一歩にしかすぎない。先は程遠い。

自分自身の器量を、少しでも大きくしていきたい。自分の器量のレベルで、私の目指す夢は実現していくからだ。

OUEN Japan は、
①大学生や留学生を応援するためにつくったNPOだ。それが、
②学生たちを応援してくれる企業の皆さん(OUEN Company)も応援するNPOに。その延長に、
③学生たちとOUEN Companyが協働して、地域を応援するNPOに。さらにそれに加えて、
④女性を応援するNPOに。そして、
⑤女性活躍が地域を元気にする。男女が協働して地域=日本を元気にするNPOに。
と、そのウイングを拡げてきた。

超少子高齢化の日本である。
OUEN Japanは、
⑥元気なおじさんやおばさんたち、おじいさんやおばあさんたちの応援団にもなっていきたい。

こんな壮大なことは、私ごとき凡人一人では何一つできはしない。
老若男女、心清き、志高い人たちを皆んな巻き込んで、緩やかでも強固な、皆んなのチームワークで以て、この大きなミッションを果たしていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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