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「宇宙の意志」と調和する心

昨夜は21時前に床に就いただろうか。寝入るまでにあまり時間は掛からなかった。トイレに起きたのも、いつもより少なかった。
熟睡していたと思うが、その後半戦は支離滅裂な夢(悪夢)が終わらなくて、やっと目が覚めてホッとした。
時々こんなことがある。
悪夢でも、寝て起きてホッと安心するのなら精神的に悪いことではない。「悪い夢を見た。今日は幸先が悪い」と思うか、「悪い夢を見たけれども目覚めた時はホッとした。今日は幸先がいい」と思うか、見方・考え方で天と地ほどの差がある。何事も、いいように考えるほうが幸せな人生になる。
そんなことで、今日は幸先がいい一日になるだろう。

起きたのが4時過ぎだ。6月にもなると日が長くなる。いつもは3時頃に起きているので、日が長くなったと感じることはない(事務所でblogを書いている時、窓の外を見て、「あぁ、日が長くなったな」と思うことはある)。
朝、事務所に出掛ける時、空が明るいのはとても新鮮な気持ちだ。徒歩2分のウォークだが、そのちょっとのことで季節の変化を感じるのは悪いものではない。私独特の感性と言うことだ。

事務所に出て、植木に水遣りをする。ちょっと元気がない事務所内の鉢植えの観葉植物をベランダのプランターに植え替えた。そのほうが元気を取り戻すだろうと思ったからだ。
空になった鉢には、新しい観葉植物を買ってきて植えようと思う。こんなことでちょっと優しい気持ちになる。とにかく、草花を愛でる心は人を幸せにする。

"強くなければ生きていくことができない。優しくなければ生きる資格がない"

人間とは何か?と考える時、まず第一は強いことではない。優しいことだ。まず、人間としての資格があることが、生きていくベースにあるべきなのだ。
私は少しずつ、この歳になって、人間として生きていく資格を獲得していっていると、こんな些細なことで実感している。

週に2日は事務所の掃除をする。狭い事務所であり、時々お客さんがいらして打ち合わせをするだけなのだが、掃除をしてみると、"汚れを意識をする"のだろう。いつも埃がついていること、たまにゴミが落ちていることに気がつく。
稲盛さんは"有意注意の大切さ"を仰る。人間は最初は"有意注意"をして自らを守るが、次第に意識をすることなく注意ができる"無意注意"になってくる。それがレベルアップということで好ましいことなのだが、それが長年続くと、肝心要の"注意"が疎かになってくる。ポカをしてしまう。慣れとは恐ろしい。
また、歳を取ると探し物が多くなる。私もしょっちゅう探し物をしている。これは有意注意をしていないからだ。意を以て意を注ぐことをしていれば、「ポシェットは何処に行ったか。帽子がない」と大騒ぎはしない。
こんな些細のないことなら大した問題ではないが、これが大事なことだったら偉いことだ。絶えず、有意注意を心掛けなければならない。

今日の3つの日めくりカレンダーは、

①感動を与える(森信三)

疲れるのは燃え方がちょっと足りん。もっというと、他人に感動を与える人は疲れない。

その通りと思う。私は人に感動を与えることを絶えずしているだろうか。

②心に描く(稲盛和夫)

心が呼ばないものが自分に近づいてくることはなく、現在の自分に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかありません。
私たちは、怒り、恨み、嫉妬心、猜疑心など否定的で暗いものを心に描くのではなく、常に夢を持ち、明るく、きれいなものを心に描かなければなりません。
そうすることで、実際の人生も素晴らしいものになるのです。

③「宇宙の意志」と調和する心(稲盛和夫)

世の中の現象を見ると、宇宙における物質の生成、生命の誕生、そしてその進化の過程は偶然の産物ではなく、そこには必然性があると考えざるを得ません。
この世には、すべてのものを進化発展させていく流れがあります。これは「宇宙の意志」ともいうべきものです。この「宇宙の意志」は、愛と誠と調和に満ち満ちています。そして私たち一人一人の思いが発するエネルギーと、この「宇宙の意志」とが同調するのか、反発しあうのかによってその人の運命が決まってきます。
宇宙の流れと同調し、調和をするようなきれいな心で描く美しい思いをもつことによって、運命も明るくひらけていくのです。

私は少しずつ、この「宇宙の意志」というものを実感している。
善きことを思い、善きことをしていれば、自ずから善き心の人が一人二人三人と私の周りに集まってきてくれて、私を助けてくれるのだ。

私は応援団長なのだが、この応援団長を助けよう、支えようと思ってくれる人たちがどんどん増えてきている。
これは「宇宙の意志」なのだ。素直に、その「宇宙の意志」に沿って、従って生きることが人を幸せにすることであり、何よりも、この私が幸せになることなのだと、実感としてそう思うようになった。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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