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私の生き方と"成功の要諦"

お茶の水に13時からアポがあった。午前にはアポは入っていなかった。先の日曜日は霧雨で真冬の気温だったのでウォーキングは中止した。
「それでは、外苑前からお茶の水までウォーキングをしよう」と思い、10時半に外苑前の事務所を出た。

外苑前→(青山通り)→赤坂見附→紀尾井町→麹町→半蔵門→(内堀通り)→千鳥ヶ淵緑道→九段下→お茶の水

途中、銀行のATMでお金の出し入れをしたくらいだったが、お茶の水駅に到着したのが12時半過ぎだった。約2時間、12千歩。土曜日の外苑前→日本橋丸善までとほぼ同じ時間と歩数だ。
ネットで繰るとどちらも徒歩で1時間半。6km強。時速4kmか。
私は早足の方なので、時速5kmくらいかと思っていた。

私のウォーキングコースは、①靖國神社コースと②明治神宮コース、③皇居一周コースの3つだが、行きにウォーキングして帰りは地下鉄、またその逆もありか。
その方がいろいろな東京の名所旧跡を訪ねることができる。

事務所の玄関に、今上天皇が即位されたおりに丸善で買い求めた[東京中心地図]が貼ってある。皇居を中心とした東京のど真ん中の地図だ。
早速、その地図にウォーキングのコースをマーカーで書き入れた。
これからは、いろいろな東京ど真ん中を歩いてみたいと思う。

この前、山﨑ちはるさんと話した時、私は、「今が人生100年時代であるなら、私は、人生をその倍の200年生きていこうと思っている。そのためには、オンとオフを峻別して生きることが、充実した人生を送る要諦と言われているが、それでは人生は100年しか楽しめない。
私は、人生全てがオンでありオフである人生がいいと思う。第二生を生きるにあたり、オン=オフである人生が私の理想の人生、理想の生き方だと思って生きるようになった」と、そんなことを話した。

第一生と第二生を生きる"人生二毛作"に加えて、オンとオフを重ねて生きる人生ダブルインカム(私が言う"インカム"はお金のことではない。"人生の楽しみ"のことだ)。
その点では、私は人一倍強欲なのだ。

私がいろいろなことを思いつくシーンは、
①ウォーキングをしている時
②夢の中
③人と話している時
のような気がする。

①ウォーキング
これまでの3コース以外に、さまざまなバリエーションを持ちたい。それがオン=オフにもつながる。

②夢の中
いろいろな夢を見るが、一度トイレに起きても、それまで見た夢はそれきりで終わりではなく、一寝入りするとその続きを見ることができる。そして、浅い眠りになってガバッと起きる。その夢を忘れないようにすぐに事務所に出向くのだ。それは真夜中でもいい。また、眠くなれば眠ればいいからだ。そこのところはサラリーマンでないからできることかもしれない(こんなことを思うと、私からしたら、"サラリーマンは辛い仕事だ"と思ってしまう。彼らは、くだらない忖度の連続で生きている人が何と多いことか)。

③人と話している時
特にリアルが絶対だ。Webはその補完的位置付けだ。少なくとも、私はそうだ。リアルでないと感性に響いてこない。これは、リアルにオーケストラを聴いたり、リアルに観劇したりする時にも言えることだろう。Webは感性を豊かにしない。
そんなことで、私は毎年[OUENの会]を開催している。

P.S.
"道(どう)"について思う。

昨日、佐藤愛子さんの[楽天道]を読んで思ったのだが、日本人はこの"道(どう)"が好きなんだと思う。道を極めるということだ。人生を追求すること、それが哲学的になると"人生を追究する"までに学問的領域に入っていく。
美空ひばりは芸道一代だったし、今注目されている将棋の藤井聡太八冠やメジャーの大谷翔平選手などは、若くしても"人生を追究し続けている哲人"だと思う。

人に感謝し、人のおかげで登り詰めた(まだまだ頂上があると驕らないところが素晴らしい。誰にも真似ができないところだ)と、謙虚な言動をする。
一流と言われる人の中には、自分は力があってこうなったとか、自分は人一倍努力をしたからこうなったとか、どうしても傲慢な心が湧いてきてしまう人が少なからずいる。それが藤井聡太八冠や大谷翔平選手にはまるでない。それが誰にでも好感を持たれる秘訣なんだろうと思う。

天才でありながら天狗にもならず、類稀な努力を続ける二人の青年が彗星の如く登場したことによって、私は、"感謝"と"謙虚"の心が、極めて高い確率で"成功の要諦"なのであろうと思うに至った。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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