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七朋会の拡大幹事会を開催する

昨年(2023年)12月2日(土)に、4年ぶりの[七朋会]を東大駒場生協食堂にて開催した。
それから、[七朋会]ホームページ制作のため、各大学有志に寄付金を募ったところ、ありがたいことに予算をオーバーして集めることができた。

では、どんなホームページをつくろうか。お金をかければいいというものではない。ということで、幹部で集まることになった。
今回は、[七朋会]の新たなステージのスタートでもあり、今までのメンバーに少し若手(と言っても皆んな60代である)を加えることにした。少しずつ形ができてきたら、50〜40代にも積極的に加わっていただきたい。

[七朋会]は、私たち昭和50年卒団(部)の国立七大学応援団の同期会がスタートだ。
毎夏、国立七大学総合体育大会があり、その応援で集まって応援した仲間たちだ。
年に1週間。皆んなが顔を合わせるのはたった1回の夜の懇親会くらいだ。そんな年に1回くらいの付き合いしかない仲間たちが、よく同期会をやるものだ。それが半世紀続いている。
ザックバランに仲良くなったのは、大学時代よりも社会人になってからだろう。
多くの人たちはそれを不思議がるが、その理由は、損得抜きに『応援』を好きということだろうか。そして、アットホームなのだ。いわゆる、皆んな"応援バカ"ということだ。いつまでも若造のままだ。
[七朋会]の集まりで応援合戦をすることで、皆んな青春に回帰して若返る。そんな風変わりな連中の集まりだ。

同期会を[七朋会]と名付けた(名付け親は東北大の木島君)ことはいいが、大学は北は北海道から南は九州とバラバラだし、社会人になって、皆んな仕事でそれどころではないこともあって、何もせずにそのままになっていた。
私と東北大応援団長だった木島明博君と京都大学応援団長だった松井眞君とは、何かことあるごとに集まって飲んでいた。いや、"飲む"ということをつくって集まって飲んでいたというのが本当のところか。

私たちが五十路になった頃だ。3人の誰が言い出したのか、「そろそろ[七朋会]をやりたいね」と言うことになって、表参道のビルの屋上で集まったのが、第1回の[七朋会]だ。
その時は、たしか北大と東北大と東大と京大の4大学だったと思う。
それから、「やはり、七大学が揃わないと[七朋会]じゃないね」と言うことになって、第2回から七大学が揃った。同期だけではなく、同じ釜の飯を食った後輩たちも加わった。それがどんどん若い後輩たちや先輩たちも加わるようになった。OUEN Japan の関係者も加わった。
会場は、新宿だったり、神保町の学士会館だったり、東大駒場生協食堂だったり。
関東ばかりではなく、関西でもと言うことで、京大と阪大が交互に大学キャンパスで開催して、東京は2年に1回になったこともあったが、どうしてもメンバーは圧倒的に東京在住が多いこともあって、やはり東京だと言うことになって、今は年に1回、東大駒場生協食堂に定着している。
昨年はコロナ禍明けで4年ぶりの七朋会だった。

七朋会幹事会は、2月12日の振替休日に私の外苑前の事務所に集まる。狭い事務所に10名はきついが、"狭いながらも楽しい事務所"というところだ。
北大は木村君、東北大は木島君と田口君、東大は冨樫君と私、名大は神谷君と小田君、京大は吉森君、九大は楠原君と徳田君。Webで阪大の北川君が加わる。

[七朋会]の命名から半世紀が経つ。漸く、その名の通りの[七朋会]が、新しいステージでスタートする。

[OUEN 信念会]にも、七朋会の幹事たちは参加してくれている。
私の想いとしては、[七朋会]も[OUEN Japan]も"応援=OUEN"という、人のために尽くす、人を応援する、人の援けに応える、応援精神は共通している。
[七朋会]への想いが、[NPO OUEN Japan]の設立につながったのだと思う。

そんなこともあり、[七朋会]には、[重陽の会]のメンバーをはじめとしたOUEN Japan の関係者にもお声を掛けて、参加いただいている。

応援=OUENは心だ。生涯に亙り、応援精神を磨き続けていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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