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私のミッションを見つけた喜び

昨夕、8月の2泊3日の中能登町出張を終えて、東京に戻ってきた。心地よい疲れで、ぐっすり3時前まで眠ることができた。

この3日間、地元の皆さんとの打ち合わせの他、東京から3社のOUEN Companyの方々がいらして、中能登町との打ち合わせをセッティングした。

中能登町には、3月から毎月訪問している。今回が5回目になる。
この5ヶ月間で、アバウトながら中能登町の課題はおおよそ把握することができた。これからはその解決に向かって、コツコツコツコツと地道に具体的活動をしていこうと思う。

そこまでのベースができたということで、22日は町長以下中能登町役場の幹部の方々との打ち合わせを行なった。中能登町とOUEN Japanのパートナーシップのあり方についての打ち合わせだ。

10月付けで、OUEN Japanは、中能登町の"地方創生アドバイザー"の委嘱を受ける見込みだ。
OUEN Japanは、中能登町の短期・中長期の案件の解決のため、町へのアドバイスや企業紹介等、具体的行動をする。
そのミッションを果たすためには、月に2泊3日の出張では消化不良になることは明白であり、メンバーの誰かがいつも中能登町に在住している体制を取っていただくことになった。
私は月に10日、場合によっては、延べ2週間は中能登の在住を考えている。中能登町のみならず、隣の七尾市、羽咋市、志賀町、富山県氷見市まで足を伸ばそうと思う。まずは中能登町の創再生だが、もっと自治体の枠を越えて、能登半島の南部の創再生に拡げていく。その先に奥能登もある。
宿泊先は、町所有の古民家があり、とりあえずそちらに住むことになるだろう。

山形かみのやま温泉"古窯"の大女将の佐藤幸子さんが致知9月号の「特集貫くものを」のインタビューでおっしゃっていらした。

鮭は川で生まれ海に出て、四年くらい海を回遊してから、再び自分の生まれた川に帰ってきて産卵する。その時、塩水から真水に慣れるために、一遍に川に帰るのではなく、川に行っては海に戻り、また川に行っては海に戻るというのを繰り返すんですって。
それで私が「鮭が一番美味しい時はいつですか?」って聞いたら、いま言った一週間、川と海を行き来して一番苦労している時が一番美味しいんだと。
それを聞いて思ったの。人間も同じ。一番苦労している時がその人の人生は一番素晴らしいって。鮭にとっての一週間の時、それが私にとっては四十代前半でした。

私はこの話に私を被らせた。"私は鮭"だと。

能登の川で生まれて、能登に育てられて、15歳で金沢〜東京をはじめとする全国行脚の旅に出た。そして、古稀を過ぎて生まれ育った能登の川に戻ってきた。
そして、能登の創再生のために、まずは生まれ育った中能登町からスタートする。そのためには、能登の川と東京の海を行ったり来たりして、能登の応援をしてくださる企業の皆さん、個人の皆さんのお力をお借りする蝶番役をするのだ。それが今なのだ。
佐藤さんはその時が一番苦労する時、一番美味しい時とおっしゃる。しかし、私は今が、その時が一番愉しく、苦労を苦労と思わない。愉しんで苦労をする。今が一番私が充実している時だ。
古稀を過ぎて、私の人生のピークが来るとは想像だにしていなかった。

今が青春だ。いや燃える白秋だ。
玄冬と青春と朱夏を七転八倒、紆余曲折しながら、甘ちゃんなりに苦労をして、漸く白秋で苦労を楽しむ心境になった。
それは玄冬と青春と朱夏の3つの季節があって、七転八倒と紆余曲折があってこそ、漸く辿り着いた白秋であり、今が幸せの最高潮の時なのだ。

天網恢々、疎にして漏らさず
天網恢恢、お天道様は見てござる


第二生、お天道様に恥ずかしくない生き方をしたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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