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新しい[OUEN Japan]をつくる

昨夕、黄英蘭さん(イノベーションソフト社長)と[OUEN Japan]のこれからについて、じっくりと、忌憚のない話をした。
そして、彼女には、このNPOの副団長をお願いしてご快諾いただいた。今月14〜15日の能登と金沢出張もご一緒する。

ところで、私は、この[OUEN Blog]で日々の思ったこと、感じたことを毎日書き続けている。
同じことを何度も何度も書いているが、それは[OUEN Blog]を書くことにより、思いを確信にまで高めるためであり、頭の中を整理・整頓するためでもある。

[OUEN Japan]は、私の分身であり、私が生まれて生きている証である。私のミッションは、そのまま[OUEN Japan]のミッションなのだ。
私のミッションは私個人、プライベートなものであるが、その想いは3S-Spirits(Service、Sacrifice、Study)であり、公そのものだと思っている。
そのミッションを果たそうと、私個人で考え、行動する。一人で考えているから、どうしても独りよがりになってしまうことは避けられない。
それはそれで致し方ない、私が滅するときには[OUEN Japan]も滅することは致し方ないと思っていた。

しかし、稲盛さんは、[才能を私物化しない]と仰っている。

[才能を私物化しない]
どのようにすぐれた能力も、それが生み出した成果も、私に属しながら私のものではない。
才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う。つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、「私」のために使うのは第二義とする。謙虚という美徳の本質はそこにある。

同様に、私の想いが「世のため人のため」であって、その想いを果たすためには私一人の力では到底成し得ないことであるならば、その想いを私一人で持つのではなく、同じ想い・志を持つ仲間たちに集まっていただいて、皆んなの知恵と力を寄せ集めることだ。
そうであれば、たとえ、私の命が尽きても、後に続く人たちがその想いを引き継いで行ってくれることが、私の望むところではないのか。そのためのNPO法人[OUEN Japan]ではないかと思うようになった。

私の想いは、稲盛さんが仰る才能や手柄ではないが、私物化しないことは才能や手柄と同じだ。
[想いを私物化しない]ことに意味がある。せっかくつくったNPO法人[OUEN Japan]を私物化してはいけない。

妻は、「お父さんの後継者ができたね。嬉しいね。ありがたいね」と言う。
黄さんが、私が立ち上げた[OUEN Japan]の想いを引き継いでくれる後継者なのだ。
なぜか、ホッとした。嬉しくなった。ありがたいと思った。
もう独り相撲はよそう。

[OUEN Japan]は、
①学生・留学生の応援団
②企業の応援団
③地域の応援団
それに加えて、
④女性の応援団
だ。

そのブレインとして、[重陽の会]がある。明るい、心温かい、心熱い、心清い、お互いを思い遣る[恕の心]を持った女性たちがメンバーだ。
そのメンバーになる条件は、ごく緩い。
想いがあれば、Welcomeだ。
そして、"来る者は拒まず、去る者は追わず"、"類は友を呼ぶ"が合言葉だ。

そして今、大きな具体的テーマが登場した。
私のふるさと能登の復興支援だ。これは能登一地方のことではない。人口減少社会に突入した日本社会全体の大きな問題だ。

能登をモデルケースにして、日本復興を考えよう。10年で終わる話ではない。20年〜30年、それ以上になるかもしれない。
私は120歳まで、あと49年との思いはあるが、それは現実的ではないし、たとえそうなったとしても、人の命は有限だ。いずれはエンドが来る。
やはり、永遠に続く、決して死すことのない法人になることだ。

黄さんとじっくり話をした。同じ想いだ。信頼ができる。心が温かい。心が熱い。そして逞しい。迫力がある。私が持っていないものをしっかり持っている。

私は凸凹そのものの人間だが、その足らずを埋めてくれる。また、黄さんは、埋められないところは、[重陽の会]のメンバーに埋めてもらうことができるだろうと言う。
それは、"友だちの友だちは皆友だち"であり、"類は友を呼ぶ"からだと。

人生、やっぱり生きていて良かったと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)



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