見出し画像

いしかわ県人祭に出席する(温故知新)

10月27日(金)、ホテル椿山荘東京にて第14回[いしかわ県人祭in東京]が開催され、出席した。約840名の参加だった。
石川県の市町村をはじめ、さまざまな団体や会社から出店があり、地元の特産品を販売していた。

私は、[いしかわ観光特使]のテーブルに座った。

[いしかわ観光特使]
1.趣旨・目的
石川の観光応援団の裾野を広げるため、本県の豊かな観光資源を口コミによりPRできる方を「いしかわ観光特使」(以下、特使とする)として委嘱し、首都圏をはじめ主に県外での情報発信力を強化する。

2.要件
・県外にむけて本県の魅力や観光情報の発信に協力いただける方(口コミ、ブログ等)
・特使として具体的な活動内容を報告できる方
・県外企業の県内支店長や県内企業の県外支店長等で、本県の魅力発信に熱心な方
・友人知人等に呼びかけて本県への旅行を企画実施されている方
・県人会等のふるさと交流会に所属し、その活動に積極的に貢献をされている方
・自身の芸術活動や講演活動等を通じ、本県の魅力を発信されている方等

同じテーブルの皆さんは、たまたま、出身が滋賀県・広島県・東京都と、石川県以外の方ばかりだった。
石川県とはビジネスのつながりをはじめとした関係があって、特使になっていらっしゃるようだ。

皆さんと名刺交換して親交を深めた。同じテーブルになるのも何かのご縁だ。"大才は袖振り合う縁をも生かす"という。隣に座ったのも何かのご縁だ。そして、その中でも、近々、会社に伺う約束をした方もいる。

前田家18代当主や馳知事、森元首相のご挨拶、司会から石川県の市町村長のご紹介のあと、金沢市長の乾杯のご発声で、パーティは始まった。

私が存じている人は、東京支店長の時からお世話になっている北國銀行の中村会長くらいだった。
中村会長にご挨拶をして、先週アンナと金沢に出張したことを話したところ、次回の出張では、アンナを連れて銀行に訪ねて来るようにと。ありがたいことだ。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

やはり、私は石川県人だと思う。
石川県からも全ての市町村長がいらしていて、東京に住んでいる人たちも、同郷人の集まりだと田舎弁になる。一言ひとことは標準語だがイントネーションは田舎丸出しだ。また、それが懐かしい。

帰りにはたくさん土産をいただいた。私の生まれた町である中能登町も出店していたので、懐かしく、いくつかの特産品を買った。

そして、私が中能登町の出身で旧鹿西町だと言うと、宮下町長に、「お名前は?」と聞かれた。「小林です」と言うと、町長は、「東大を出た小林さんですか。私の1年後輩だ。小林さんが、鹿西町から東大に入った2人目だった。実家は酒屋さんをしていらしたんだ」と部下の方に話された。
その部下の方が、私が中学3年生の時、担任をされていた駒井先生のお孫さんだと言う。懐かしい。

また、宮下町長は、「12月3日の日曜日には、上野で中能登町出身の人たちが集まる。私も上京する。小林さんも来られませんか。小林さんに続く東大生も来ますよ」と。
中能登を出て55年以上が経つ。よっぽど東大合格は鄙には珍しいことなのだ。私もそろそろ、ふるさとに錦を飾らなければと思う。

12月2日(土)は七朋会だが、3日(日)は何も予定はない。メールで連絡するからということで私も出席することにした。

【温故知新】おんこちしん
《「論語」為政から》過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。「温」を「あたためて」と読む説もある。なお、「温古知新」と書くのは誤り。

ふるさとを懐かしむのも、これも[温故知新]ということだろう。
故きとは、私が祖父母に育てられた15歳までのことだ。
祖父母があって今の私がある。私にとって、能登を想うことは祖父母を思い出すこと、人間の原点に立ち返ることなのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?