ぜんぶ投げ捨てて
今から電車を乗り継いで海に向かって、ざぶざぶ波打つ水の中にスマホを放り投げて。そうしたら。
そんなことが出来たらいいなあなんて時々思うけど、スマホがないと生きるのにとんでもなく不便な今の世の中じゃ、手放すのは得策ではない。
船で海のど真ん中に行かない限り、岸に流れ着いて誰かに拾われるかもしれないし、そこで100%壊れている保証もない。スマホを落としただけなのに、だ。何があるか分からない。ちゃんと叩き壊すか、真っ当な手段で解約するべきだ。
でも言いたいのはそんな現実的な話じゃなくて、いつでも誰かからの連絡が来てしまうこんな状況も、溢れる情報に流されるのも、もうこりごりだってこと。
私の初めての携帯はスマホだった。
中学生の頃、塾に行くときの連絡用に、父のお下がりの電話とオフラインのゲームしかできないスマホを貰った。今売られてるスマホなんかとは違う、もっと小さくて分厚いやつ。
それから高校に上がる直前になって、私は初めて「自分のスマホ」を手にした。もともとパソコンでインターネットでばかり遊んでいた子どもだったので、見事にスマホばかり見ていた。TwitterのTLは毎日監視したし...まあそれは今だってあまり変わっていないけれど。
今の私たちにとって、スマホはテレビだったり新聞だったり、財布だったりお店だったり、ゲーム機だったり。目に見えないもので言えば、人との繋がり。ずっと切れてくれない繋がり。いつか来るかもしれない知らせが、いつでも来る。明日にでも、明後日にでも、今すぐにでも。
捨てたいって言うのは、そういうものを全部ひっくるめたスマホだ。もっと全部。家族も友達も、全部ってこと。なにもかも捨てたら、捨てられたら。
「わたし」も捨てなければ。まっさらに、新しい自分になれたら楽になれるんだろうか。こんがらがって捻くれて、甘えたで空っぽになった私を捨ててしまえたら。
スマホを海に投げても、私自身は捨てられない。残るのは自分だけ。頼りなくて大嫌いな私だけ。
それがなによりも、恐ろしくて堪らない。
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