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捨てるのが、無性に悲しくて

 断捨離ブームに全く追いつききれていない私。小さい子供のころは何の躊躇もなくいろんなことを手放せていたような・・・。すごく思いっきりのいい子供だったはず。なぜ今捨てられない?


 思うようにモノがすぱっと捨てきれないのは、執着かそれとも未練か。自分の所有物とは、自分が今まで食べたものと同じように今までの自分を形成してきたもの。そのような事を、近頃随分と考えます。


 極力もう使えないものは捨てなくちゃいけないと頭ではわかっている。それなのにどうも先送りにして捨てきれないものが部屋にまだある。時には「これ捨てる」と家族に宣言して、ようやく捨てる決心がついた事も。かなり強引な力技です。


 そして捨て下手は捨ててはいけないものも、捨てる危険性があるじゃないですか。捨てることに対する漠然とした不安も、心の奥深くにうずまいているのかと思いました。といっても判断を他人に任せるわけにもいかず。最後に決めるのは結局自分自身。


 この記事を書いている途中にも、傷んだショルダーバッグとのお別れに踏ん切りがつけられた。言語化して考えあぐねて、不意にストンと自分の心が納得しました。ここまで引っ張ってようやく捨てれる決心がついた訳です。お別れするというのは、何にせよやはり寂しいもの。時間がかかっても、仕方ないのです。身近なアイテムには、愛着や思い出もそれなりにあるから。


 捨てるという行為は購入するより、もっと多くのエネルギーを要します。この頃無駄な買い物を減らせたのも、捨てる悲しさを体と心が覚えてしまったから。捨てると多くの過去のエピソードが走馬灯のように頭の中を駆け巡ったりします。自分でも戸惑うような、はるか過去の記憶の想起。だから断捨離系の番組が流行るんじゃないでしょうか。


 追記 某バラエティ番組で「汚部屋はHip-Pop」と語っている人がいらっしゃいましたが、あながち間違いではないかもしれません。



 


 

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