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確証バイアス

自分の都合の良い情報ばかりを集めて、判断の正しさを確証しようとすることを「確証バイアス」といいます。すでに思い込んでいる状況を前提にして、結論を導こうとする時などによくみられるものです。

確証バイアスとは、自分の考えが正しいと立証する時に、自分の考えが正しい証拠ばかりを集めてしまい、反証情報に注目しない傾向のこと。

例えば「この人は怠けているから、もっと仕事をさせたい」と思っている管理者がいたとしましょう。その場合、本当に怠けているのだろうか?という検証が必要になります。

ところが「この人は仕事を怠けている」という思い込みを前提に、そのことを実証させる情報を集めようとするので、誤った見方を揺るぎないものにしていくのです。例えば、仕事の成果が出ていないように見える強調された数字を並べて、これで一目瞭然だろうと、まわりを固める戦略を立てる。そして、他の人と対比させて「ほら見てご覧、怠けているのは明らかでしょ?」と言う。(対比効果)などなど…。

対比効果とは、対比されると2番目のものが最初のものと差がある場合、実際よりその差が大きく感じられる心理的効果のことです。ビジネスの場面、マーケティングや人事業界でも多く利用されています。 人は多くの場合、何かと対比されることによって差を大きく感じるところがあるのです。

でも実は、誰もみていないところで、その人は誰かの仕事を手伝っていたり、数字には表せない埋もれている責任を背負っていたとしても、そこには目もくれない。「数字が最も大事」という価値観の管理者の目には、数字に直接つながらない仕事は、どうやっても映し出されない、ということになります。

それから教育現場でも同じようなことは起こります。「この子が問題児だ」という思い込みを持つ大人が学校や園の中にいたら、と思ってみてください。この子の、本当は優しくて思いやりのあるところには目もくれず、問題が起こる度に「ほらまた!」と強調されて伝えられていくのです。

思い込みって怖いです。
そもそも思い込みなので、本人が気づくことはほとんどありません。
だとしたら、気づいた誰かが声を上げて気づかせてくれれば良いのですが、それも難しい現状があります。

例えば、心の中で「いや、この子にだって良いところはある」とか、「この人は、目立たないけどとても大事な役割を負ってくれている」と思っている人がいたとしても、集団の中で声を上げるのはなかなか難しいということがあるのです。

「どうせ声をあげたところで、打ち消されるだけだ」と思ったり(こういうのを「多元的無知」といいます)、背景に『会議の場ではみんなの意見を一致させなくちゃいけない』と言うプレッシャーと共に、個々の意見を言いにくくする「集団極性化」が働きやすくなるからです。

多元的無知とは、特定の社会的集団の構成員に見られるバイアスの一種。集団の過半数が任意のある条件を否定しながらも、他者が受け入れることを想定し、それに沿った行動をしている状況を指す。言い換えれば「誰も信じていないが、誰もが『誰もが信じている』と信じている」と表現できる。
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集団極性化とは、集団で意思決定を行う際、個々人の当初の判断や行動傾向、感情などが、集団でのさまざまなやりとりを通す中で、極端な方向に強くなる現象。つまり、集団討議後になされる集団の反応の平均が、討議前に個々人によってなされた反応の平均よりも、同一の方向により極端になって現れるということ。
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日頃から、このような知識をみんなが共有できるといいですね。
そして、定期的に検証をする習慣を作るとか。

うまくいかない組織があるとすれば、必ず理由がある。その理由探しをする際にも、バイアスがかかることを意識することが出来るかどうかは、とっても大事なことです。

結局のところ、問題のある組織はそのま存続し続けることはできません。いつか必ず問題が起こる。

その結果、淘汰されるか、変わるように追い込まれるか、変わらなければ消えるか…辿る道はいろいろです。いろいろなのですが。。。 

そこに関わる人のことを考えると、どこかで気づいて、やっぱり、変わって欲しいと願わずにはいられません。

鶯千恭子(おうち きょうこ)


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