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いつも人にすがっていたい不安型の人

不安に襲われたときに、人を求める人と、人を避ける人がいる。
前回は、人を避ける回避型の人について書いたので、今回は人を求める不安型の人について考えてみたいと思う。

不安になった時に人を求めるのは、人が安心をくれるという学習をしてきた証拠。
子ども時代、不安に襲われた時に母親の胸に抱きつき、安心させてもらった記憶を持つ人は、人を求めるのだ。
ところが、問題となるのは、その程度である。

いつもこちらを見ていて欲しいとせがまれたらどうだろう。
可愛くすねる程度なら、自尊心がくすぐられるかもしれないが、なぜ見ていないんだと怒りを露わにされたら、尻込みしてしまうだろう。
片時も離れずに、べったりすることを要求されるのだ。
どこに行くのも一緒。
大抵の人なら息が詰まるだろう。

「時には一人の時間が欲しい」と感じるのは当然のこと。
ところが、そう思った瞬間に、相手は敏感に感づくのだ。
そして、途端に、拗ねたり、わけ解らず怒り出したり、無視したり…やたらと機嫌が悪くなる。
理由は、相手が離れて行かないが、不安が襲ってくるからだ。
いわゆる「見捨てられ不安」というやつだ。
そして、安心したいがために、結果的に相手を振り回してしまう。

これは異性の関係だけでなく、同性の友人関係でも起こるし、仕事関係においても起こる。
つまり、急速に親密な関係を築き、そして振り回すのだ。

この根本的な問題は、愛情や関心、受容体験の著しい飢餓状態にあるということだ。
いわゆる、与えられるべきものをもらい損ねた過去が端を発している。

もらい損ねたというのは、ひょっとしたら本人の記憶にものぼらない幼い頃かもしれない。
不安に怯え、泣いて何度となく安心を求めても、応えてもらえなかった記憶が刻まれているのだ。
これは、表向き両親が揃っている、いわゆる幸せそうな家族に見えても、内情は全く違うということを示唆している。

特徴の一つは、十分な距離が保たれていれば、人間関係において、問題は起こらないということ。
距離が縮まって、受容してもらえると感じ、その心地よさを味わった瞬間に、姿を豹変させるのだ。
その場合、完全に感情のコントロールを失ってしまい、当人は別人と化す。

思いやりのある人ほど、なんとかしてあげたいと思い力になろうとするものの、多くの場合、感情の波に飲まれ、疲弊していくことになる。
親密な関係でなければ、そんな一面を持っているとは、周囲の人は誰も気づかない。
この辺りが解決を遅らせる要因となる。

これは強い不安型の特徴。
自分の中にあるポッカリと空いた穴の存在に気づけば、空虚感の正体がわかる。
わかれば、人の求め方も違って来るというものだ。

強い不安型の人は、親密な関係を求める気持ちも相当強い。
そのため、自分に関心を向けてもらいたいというサインを、それとなく周囲に振りまくこともある。
ところが、実際に望む関係を手に入れた瞬間から、今度は、見捨てられるのではないかという不安と付き合い続けることになるのだ。

そんなことをくり返していても、心からの安心は手に入らない。
ところが、またくり返してしまうのだ。

これはもう、本人が気づくしかない。
まずは勇気を出して、心の穴を見つめること。
人にその穴を埋めてもらうことを期待する前に、自分で埋めるのだ。
それしかない。
それには、自分の力を信じる。
大丈夫だ!と自分に言い続ける。
それが穴埋めの最初の作業となる。

そうこうするうちに、いつか献身的に支えたいという人が現れるかもしれない。
いつかきっと。
その時、その人との関係を大事に大事に育てていくためにも、今こそ目を逸らさずに、自分を見つめ、自分を振り返り続ける癖を持つ。
自分のことで頭がいっぱいになるのではなく、深呼吸をして、冷静に相手の気持ちになってみるという習慣を作るのだ。
大丈夫。そうすれば、きっと安心も逃げていかない。

そんな人間関係のカラクリを、もっとわかりやすく、そして希望を見出せるように伝えられたらなあ。そんなことをいつも思うのだ。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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