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ストレスがかかった時の自分を点検してみよう【感情取説】

ストレスや脅威が迫った時にこそ、人の本質が現れるというのは真実。
理屈と感情は別物なので、心が平穏な時の姿も本物だけど、心が激しく揺さぶられている時の姿も本物なのだ。

人を茹で卵に見立ててみよう

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ちょうど、茹で卵がイメージにぴったりかもしれない。
普段の我々も、茹で卵の白身で社会生活を送っている。
ところが、ストレスや脅威が迫ると、奥に隠されていた黄身が姿を現すのだ。

黄身が出現した時の失態を経験したことがある人は、その最中は気がつかないけれど、平静の白身の状態に戻った時に、はたと我にかえり、深く反省し、「二度とするまい」と心に誓ったりする。
ただ、人によってこの振り返り方が随分違うのだ。

自分を見つける作業

「なぜ、あんなことをしてしまったのだろう」
と深く深く掘り下げていく人も、多くの場合、最初は「相手がこんなことをしたからだ」と相手を攻めるところから始まる。

ところが、自分を振り返る力を持つ人は、ここでは止まらず、視点を相手から自分に向け始める。
そして「なぜ自分はあんな言動を取ったのだろう」と自分を見つめ始めるのだ。
この時はすでに感情の波はおさまり、冷静に分析を始める。

そして、もっと深く掘り下げる人は
「そういえば、いつもこのパターンだ」ということに気づく。
これも感情は揺らさず分析がメイン。

さらに深く掘り下げる人は
「いつこのパターンを身につけたんだろう」ということに思いを馳せていくのだ。

さらにもっと深く掘り下げる人は
「これなんとかしたいな」という思いにかられ、自分をもっと深く知りたいという欲求が起こる。
そして、なんとかするために情報を集め始めるのだ。

これが、心理学や精神医学、哲学のような専門知識ということもあれば、血液型や星占いのような、わかりやすく手に取りやすいものだったりすることもある。
私は、ぜひ専門知識を手にするところまで行って欲しいと思う。
なぜなら、人の振る舞いや考え方は、運命めいたものではなく、自分のつくられ方に由来することが大きいので、如何様にでも変えられるからだ。

さらに深く掘り下げる人は
「こうなれたらいいなあ」というモデルや目標を見つけ、そこに向かって邁進していくことになる。

”化続ける”人

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このプロセスを踏んで、変化し続けていく人は、正直いってそう多くはない。
なぜなら、振り返りでたびたび感情の波に襲われるからだ。
感情を制して、思考のパターンに気づく作業は、容易ではないと同時に、それくらい、大の大人でも投げ出したくなるほど、しんどい作業だということなのだ。

それでも、どんどん変化を続け、ちょっと言い方が綺麗ではないけれど、”化け続ける”人がいる。
私はそういう人を何人も知っている。
多分、この理屈を知ってしまっただけなんだろう。
知ると知らぬはこうも違いを生むのだ。

気づいた人は、輝きが違う。
そう、目を中心とした表情から溢れ出る輝き。
苦労の末に行き着いた場所で、諦めなかったことで手に入れることになった究極の安全基地を自分の中に作り出したかのような安定感を持つ。

そういう人は、何か自分の中に芽生えた「信念」を持っていて、「自分なんて、まだまだ…」と、びっくりするくらい謙虚だということも共通している。
そういう人を前にすると、自分の謙虚さの浅さが堪える。
これは、年齢とか経験に共通するものではない。
苦労を重ねて体得してきた熟練技のようなものだ。
若くても、こちらが平伏したくなるような人もいるからだ。

負けないように、追い越されないようにするためには、以下の手順を誠実にこなすことだ。
まずは、ストレスがかかった時の、自分の中にある黄身の存在に気づく。
そして、平静さを取り戻したら、深く深く自分を振り返る。深く深く…。
これをくり返しながら老いていけたら、きっと誰もが振り返りたくなるほど、かっこいいおばあちゃんになれるかもしれない。

鶯千恭子(おうち きょうこ)


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