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無性に活字を見たかったという娘

先週、途中で娘が合流し軽井沢で週末を過ごしました。
近くにいいお湯が出る湯治場として有名な鹿教湯温泉に向かう道中のこと。
娘のカミングアウトが始まりました。

幼少期から本好きだった彼女は、あの頃、無性に活字を見たくて、食品のラベルや瓶の底に書かれている文字も読んでいたというのです。
えー!!!そうだったの???
初めての告白でした。

本好きにさせたくて、というより、本を読める子にしたかったというのが正解かな。人生で経験できることには限りがあるけれど、いろんな人の経験や知恵を学べたら、人生が豊かになると思っていたので、活字を読むことを厭(いと)わない子にしたかったのです。漫画もいいけれど、やっぱり本。
だって文字の中で展開される心の描写や情景は、グラデーションが豊かで味わい深いもの。
これは昭和に生まれた私のこだわり。

だけど、だけど、ラベルの文字まで読み漁っていたとは。
どうりで「平成の二宮金次郎」と近所で噂だったはずだ。
小学生の頃から、登下校でも本を手放さず、中学生の頃には親の本棚の本もほとんど目を通していたというから仰天です。
本人曰く、特に私の書棚には精神医学の本がずら〜り並んでいたので、年齢不相応の耳年増になってしまったのは行き過ぎだったかもと、複雑な思いも教えてくれました。そうだったんだ、そうだったんだ…。

そんな彼女は今、女性を多方面から支える、女性ヘルスケアに夢中の医者になっています。活字を嫌がらないどころか、のめり込みすぎるほどの本好きになった彼女は、今では昼も夜もなく病棟を走り回り(1日18000歩だそうです)、日夜、論文や専門書と格闘中。
そんなに本が好きなら書く側になればいいのに、と無知な私は安易に図々しいことを思うのですが、どうも読むのと書くのでは大きな開きがあるようです。

とりあえず自分の性質を仕事に生かせているので、よかった、よかった。
でも内心、当時にそのことを聞いていたらきっと不安だっただろうなあ…私。
個性を武器にするって、こういうことなんだなあとしみじみ思うのでした。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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