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人間関係のパワーゲーム

世の中には支配をめぐるパワーゲームがたくさんあります。どちらが上でどちらが下か、上下関係が根強く残っている世界。例えば、伝統を守り受け継ぐ世界などでは、上下関係はとても厳しいです。

でも、そうではなくて、自ら常にパワーゲームをしかけ、その中で生きようとする人がいます。
立場上、役割があるので、支配する立場に身を置いている、というわけではなく、いつも「勝つ」ことにこだわっている人です。

こういうタイプの人は、対等な関係を築くことができません。というか、対等の関係を経験したことがないので、対等の関係を知らないのかもしれません。
例え世間話であっても、対等の立場で会話を楽しむことができず、いつの間にか相手を支配下に置こうとしてしまうのです。

支配された経験を持つ

人間関係のパワーゲームに敏感な人は、様々な人間関係の中で、いつもどちらが上か、下か、が気になって仕方がありません。関心がいつもそこに向いているといった感じです。
なので、相手が自分より上の立場だとわかれば、態度を180度変えて接します。
それはある意味、自分もそうされたいという強い願望を持っていると思われます。
では、なぜそれほどまでに、上下関係にこだわるのでしょうか。
それは、そうされてきた経験を持つからです。

関係性の作り方は学習です。
人生初めての人間関係である親子関係は、基本的に支配する・支配される関係です。
幼ければ幼いほど、子どもは親に依存しなければ生きてはいけませんので、親が支配しようとすれば、子どもは逃れることはできません。
親のいうことに従わなければ叱られるというのも、親が上で子どもが下の関係になります。

ただ一般的に、大人になった時に「親に支配されて育った」とは言いません。
人間関係のカタチは上下関係であっても、我が子の幸せを願う親の深い愛情を感じられるので、支配されたとは感じず、大切にされて育ったと回想するようになるのです。

ただ、本当にそうなのか。実は相当支配されて育ったのではないか、という線引きは曖昧です。
唯一、その境界線がわかるのは、大人になった時の人との関係の築き方を見ることです。
大切にされたというよりも、親の意向に添うことを常に強いられた人は、人間関係の中で、対等な関係を築くことができません。どこに行っても「支配する・支配される」関係になっていく特徴を持ちます。

支配願望の背景にあるもの

人は本来、誰かの意のままに扱われることは嫌なものです。
他人の思う通りに生きなければならないと感じ、言われるまま、されるままで生きることは、無力感に襲われ、自尊心を下げることになるからです。

無力感を感じることに敏感で、なんとか避けたいと思えば、とる行動は「支配する側に立つ」ことです。自分の思うままに相手をコントロールできれば、無力感を感じずに済むからです。

子ども時代の自分は無力で、非情にも支配された辛い体験を、二度としなくていいと思えるし、今の自分は、あの頃のような無抵抗でやられっぱなしの状態ではない。大きく成長した今の自分は、パワーゲームに勝ち続けることができる力を身につけたんだ、と確認できることは、大きな安心をもたらすのです。

パワーゲームに乗らない

そんな事情を背景に持つ人の、パワーゲームに引き込もうとする人のパワーは相当なものです。一つ一つの些細な関係でさえ、全力を注ぎ、自分が上に立つことに執着します。

そんな、鍵と鍵穴のような関係に陥らない為には、相手が仕掛けてくるパワーゲームには、絶対に乗らないことです。この世の中は、多かれ少なかれ、他人の評価で勝ち負けが決まる世界が存在します。だからこそ、特に身近な人間関係であればなおのこと、対等な関係を築く必要があります。

パワーゲームを仕掛けられても乗ってはいけません。無駄なゲームはさっさと降りましょう。
そして向かう先は、自分の「好き」をたくさん見つけることです。
人の評価に惑わされず、惚れ込めるものをたくさん集めてください。

好きなものがないという人は、すでに自尊心を奪われている可能性があります。
自分の望むものを求めても無駄だ、という無力感を度々味わった挙げ句の果てに、何も望まない、感じない、という防衛対策をとることで、新たな傷つきを避けるメリットがあるので、そのやり方に慣れてしまっている可能性があります。

そういう人は、自分の感情を取り戻すことを頑張りましょう。感情を失って、幸せを感じることはできませんからね。「好き」「嫌い」が難しければ、「心地よい」「居心地悪い」という感覚を研ぎ澄ましてみましょう。
どうか自分の心を大切にしてくださいね。

鶯千恭子(おうち きょうこ)


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