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感情労働

「感情労働」という言葉があります。
相手のメンタリティをいい状態に導いていくために、自分の感情を奮い立たせたり、グッと押さえ込んだりして、職務にあたることをいいます。

どんなに理不尽なことを要求されようとも、自分の感情は押し殺して、相手の要求を受け入れる。
尚且つ、その要求に応えることを会社から強く指導されたり、実際にちゃんとできているのかを、チェックされたりすることも含まれます。

これまでの労働は、肉体労働、頭脳労働の2つに分けられていましたが、最近では、新しい概念として「感情労働」が注目されるようになってきたのです。

からだを使って労働することで賃金を得る「肉体労働」
頭脳を使って創出したアイデアを賃金に変える「頭脳労働」
自分の感情を抑え、相手の感情をいい状態に運ぶことで賃金を得る「感情労働」

感情労働の種類

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そもそも労働とは、この3つが全て混在しているものだと思います。
でも、その割合に随分差が出てきたんです。
しかも、これまで意識されてこなかった「感情労働」にウエイトが大きくなってきている。

「心を込めたサービス」
「真心を大切にした仕事」など

相手の感情を満たし、満足感や充足感を与えるキャッチコピーをやたらと目にする機会が増えてきましたね。
つまり「感情労働」の特徴は、商品そのものの価値より、接客の態度が重視されることにあります。

商品そのものが“感情”に置き換えられ、「心の商品化」と呼ばれたりもしますが、
職種でいえば、サービス業、営業、医療関係、教育関係、福祉関係、保育関係、介護関係など、対人関係の多くの仕事があてはまるようになっているようです。

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感情労働が問題になるのは、働き手が常に相手の心を満たすことを強いられ、その割には、感情労働に対する価値は低く、当然のように扱われることにあるんじゃないでしょうか。

感情労働に勤しむなら、その分、自分の感情を満たしてもらえる。とか、
せめて「達成感」や「充実感」といった“感情の対価”を得られればバランスも取れるのでしょうが、それもないとなると、これでは心が壊れてしまいます。
このアンバランスさが、ひどい労働環境を生み出しているなと感じるのです。

そもそも、人の感情を満たし続けることなんてできるのでしょうか?
というか、そんなことをしていいのでしょうか?
人の奉仕によってでなければ満たされないという大人がいていいの?

大人になる要素は、自己受容→他者受容です。
大人というのは、いつまでも「もらう」側に居続けるのではなく、「与える」側に立たなければなりません。
それは「もらう」以上に、「与える」ことがより大きな喜びを味わえることを知る、成熟した大人の世界です。

ところが、成熟を拒否して、いつまでも「もらう」側に立ち続け、与え方が悪いと文句を言う。
おかしな話です。

心の発達のプロセス

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本来、人として成熟していく過程は、心の発達のプロセスから紐解くことができます。

生まれたての赤ちゃんは、十分に大人から抱擁され、安心に包まれることで「自分は守られている」「大切に思われている」と確信しますね。
やがて、自分で自分を信じるという自己受容を手にし、その力を自分だけでなく、他人や社会のために役立てたいという他者受容へと成長させていくのです。

このステップを踏めている大人同士がいて、初めて「お互いさま」が通用するようになる。
ところが、どちらか一方が大変なお子ちゃまで、「もっと自分を大切に扱ってよ」と要求し続けたらどうでしょう?
犠牲を払い続ける「奴隷」の役割を負う人がいなければ、この関係は成立しません。

大人が赤ちゃん返り?

しかも、大の大人が赤ちゃん返りすることを容認する。
いや、赤ちゃん返りをしていいですよと、推奨する。

ものを売らんがために、評判を落とさないために、感情労働を当たり前にして、顧客を獲得していく。
そんな労働があっていいの?と思います。
もちろんこれは、それを欲しがる人がいるから「商品」が生まれて、ビジネスが生まれるのですが。

人がどんどん幼くなり、退行していく。
これはとても怖いことだと、相当な危機感を感じています。

【退行】
困難な状況、精神的混乱に立ち至ったときに、行動が発達の初期の状態に戻ること。

保育現場の悲鳴

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例えば、保育の現場です。
時々、かつての教え子と集まって話すのですが、必ず保育現場の悩みがたくさん出てきます。
その多くが人間関係。
そして驚くのは「幼さ」です。

例えば、職場の人間関係のいざこざ。
大体共通したパターンがあり、自分の意見を無理に通そうとしたり、意見が通らないことへの怒りを周囲に撒き散らすというもの。
万が一、周りと折り合えない人が発言権を持つリーダーにでもなったら、大変な職場に一転するというのです。

更には、保護者から無理難題を要求されたり、すぐにキレる保護者に対して、とても心を痛めているのにも驚きます。

「独身の保育士は嫌。なので担任から外してほしい」
「歳とった先生は嫌。もっと若い先生を担任にしてほしい」
「発表会でうちの子を主役に立たせてほしい」
「お着替えの荷物が多くなるので、水遊びはやめてほしい」
「タオルにカビが生えてきたので、新しいものに変えてくれますか?」と伝えると逆ギレされる
「駐車場に車を置いたまま出かけないで、次の人のためになるべく早く移動してください「と伝えると有料駐車場を借りろということか!と逆ギレされる、など。

もちろん、これはほんの一部の保護者からの要望です。
それでも、これまで聞いた事がなかった、耳を疑うような内容に、緊張しながら丁寧に言葉を選んで、恐る恐る答えているのです。
間違って、下手に気分を害させてしまったら大変!
面倒なことになる体験を、これまで嫌というほどしているから慎重になるんです、というのです。
つまり、昔はごくたまにそういう事がある程度だったものが、「またか」と思うほどの頻度で起こるようになっているというのです。
しかも、この手の対応を、現場の保育士さんに任せるというのは、あまりにも酷。

《守られなければ、守ってあげられない》

そう感じている私からすれば、子どもと一緒になって、元気いっぱい園庭を走り回ってくれる、子どもの成長を守り育む役割を負った保育士さんが、自分の歳よりひとまわり以上も年上の保護者からの「困った要望」に、うまく対処することを求められては、離職率を止めることはできないだろう…と考えてしまうのです。

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これはもう、子どもを預かる仕事ではありません。
大人を、年齢相応に成熟させなければならない仕事です。

それ、誰がやるの?
誰が引き受けてくれるの?

実は、この難問に向き合う覚悟を持った人が不在だということも、大きな問題となっているのです。
(私たちはこの問題に真正面から取り組むために「家族成育カウンセラー」を養成して、人の育ちのプロを育てる取り組みをスタートします)

育児のスタンダードがなくなった今、なんでもありの「多様性」という耳障りの良い言葉の裏に隠された弊害が、こんなカタチで露呈してきているんだなと思います。

日本全体が「総退行社会」へと加速すれば、その歪みは、こういった職業につく人たちが多大に背負うことになる。
介護も然り、医療も然り、教育も然り、公的機関も然り。
これは、待遇改善だけの問題ではないですね。

彼女たちの例で言えば、子どもたちの心を育むべき保育士の心が希望に満ちていなければ、その影響を多大に受けるのは、子どもになります。

心を砕き、心を寄せても、「達成感」や「やりがい」「充足感」が感じられなくなるほど、無償の感情労働のブラックホールが、止め処なく広がっていることに身震いするし、そんな中で、本当によく頑張っていると頭が下がる思いです。

ワーキングマザーの悲鳴

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更に、もっと身近な例で言えば、日本の女性たちです。
中でもワーキングマザーは、幾重にも重なる精神的負担を背負っているなと感じています。
そもそも日本の女性が、他の先進国と比べて驚くほどの格差があるというのは、ニュースでもよく取り上げられていますね。

世界経済フォーラムが2021年3月に発表した、男女の格差を数値化した「ジェンダーギャップ指数」では、日本は156カ国中120位という最下層。
この数字は、先進国だけでなく、アジア圏でも最下位。

評価は4つの分野から行われたのですが、数字にするとガッカリな気分に襲われます。

教育:92位/156カ国中
健康:65位/156カ国中
経済:117位/156カ国中
政治:147位/156カ国中

少子化が加速し、年間に生まれる子どもの数がどんどん減少しており(2020年出生数84万832人:前年より2万4407人2.8%減 過去最少更新)、経済の担い手が不足する中で、「働いてお金を生み出してください」とお願いされるのも女性、「子どもを産んで育ててください」と懇願されるのも女性。
それなのに、これでもかと言わんばかりに、尽くすことを求められる。
ここにも、無償の感情労働ブラックホールがあると思えてなりません。

幼い子を抱えて働く母親は、誰よりも朝早く起き、冬であれば部屋の暖房を入れ、かじかんで真っ赤になった指先に息を吹きかけながら洗濯物を干し、手早く朝ごはん、お弁当を作り、できれば夕食の仕込みをして、子どもを送り出し、自分も職場に走ります。
これを、来る日も、来る日も、繰り返すのです。

夕方になれば、顧客とのトラブルや突発的な問題が起こっても、お迎えの時間を伸ばすことはできないので、周囲に頭を下げ、後めたい気持ちを振り切って、定時に職場を後にします。
そして、帰ってからがまた大変。
ノンストップで夕食を作り、食べさせ、お風呂に入れて、身支度をさせて寝かしつける。

たまには自分のためにエステにでも行ってみたい
ゆっくりコーヒーでも飲んでから帰りたい

そんなささやかな願いを叶えようものなら、「帰りを待っている子どもがかわいそう」と、周囲から冷たい目でみられてしまうのです。

それでも、感受性の高い夫に恵まれれば、労いの言葉もかけてもらえるでしょうが、感受性が苦手という男性は多いです。
それならば、せめて「今、どんな気分?」と関心を寄せてくれても良さそうなもの。
そうでなければ「気付いてあげられない事が多いかもしれない」と、気遣う度量の大きさを示してくれてもよさそうなものですが、まだまだ、無関心か、自分が甘えさせてもらえないことにむくれる男性も多いのが現状です。
(頑張っている男性の皆さん、ごめんなさい。でもそういう男性もまだたくさんいるんです…)

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家庭を維持するということは、肉体労働も、頭脳労働も、感情労働もフル回転。
だからこそ、誰か一人が背負いすぎないように、偏らないように、疲弊しないように、夫婦のチームワークが欠かせないのです。

もし、感情労働を強いられる人が特定されれば、たちまち子どもの発達に影響が出てくることになるでしょう。
そして、情緒の安定を欠いた大人へと成長することになり、この問題は世代連鎖されていくのです。
これからの時代は、人の成熟に格差が生まれ、成熟への価値が高まっていくことだろうと思います。

大人になろう 大人を育てよう

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感情労働を要求する大人は、幼子が母親に要求する無償の愛を欲しがる姿に似ています。
それだけ、心の成長が止まった、幼いままだということです。
世の中が、そんな「困ったさん」ばかりになったら、社会は大変なことになります。

無理難題を押し付けてくる幼い大人は、心の成熟が止まっていることを頑なに受け入れません。
自分を直視することに、恐怖が伴うのです。
ましてや、本当の自分を他人に曝け出したところで、受け入れてくれるはずがないと、強い信念を持っているので、いくら話をしても平行線になってしまうことがほとんど。
きっとそれだけ、大切に扱ってもらえなかった過去を引きずっているのでしょうが。

ですので、大人の心育ての再構築は、そう簡単ではありません。
自分で自分の課題に気づき、なんとかしたいと思わなければ、決して前進することはないからです。
本人がその域に達するまでは、ならぬはなぬと断固として線引きをする。
それしかないのです。
関わる側も、ちゃんと「N O」を伝えるだけの力が必要になる。
だからこそ、誰もが「自分を成熟させる」課題を持つのです。

令和の時代は、成熟格差が止まらなくなるんだろうな、と思います。
だとしたら、出会う人は自分にご縁があった人として出会いを意味づけ、お互いに年齢相応の成長を遂げていけるように、もっと近づいて、もっと関わり合わなければ…。
令和とは、そんな時代だと思うのです。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

SFRのHP①

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