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空虚感を持つ人は強い刺激を求める

空虚感を持つ人が増えているという。
空虚感とは、心にポッカリと穴が空いたような虚しい感情がいつもつきまとっているような感じのことをいう。
何かこれと言ってショックなことがあったわけでもないのに、虚しい気分が度々襲うのだ。
いや、いつも背後に張り付いているといった方がいいかもしれない。

いいことがあっても、物事がうまくいっている時であっても、その気分は長続きせず、漠然とした虚しさにつきまとわれる。
子どももいて、人も羨むような仕事や、家庭にも恵まれているのに、なぜだろう?と思うこともあるかもしれない。
幸せな状態が居心地が悪く、幸せに浸り続けることができないのだ。

その上、うまくいかない出来事に遭遇したら、尚更、虚しさは深まっていく。
今までの努力が全て意味がなかった、無駄なことにばかり費やしてきたと、自暴自棄になってしまうのだ。

「空虚感」は、放っておくと心の中を侵食していくので、早く正体を見破って、勝手な侵食を食い止めて欲しい。
そのためには、空虚感の持つ性質をまず知ることだ。

空虚感は、カメレオンのように七変化する。
例えば、強い刺激を求めたがる人がいる。
それは、空虚感を一瞬でも忘れさせてくれるからだ。

アルコールやギャンブル、ドラッグなどはわかりやすいだろう。
でも、それだけではない。
何か危なっかしい世界に、自ら没入していくのだ。

一か八かの賭けに出たり、首の皮一枚で潜り抜けるようなスリルを感じる環境に身を投じたり、ちょっと常識では考えられないような火遊びをしたがったり。

堅実さとは真逆の、無計画な浪費であったり。
また、満腹中枢が壊れてしまったかのように食べ続けてしまったり。
これらも全て、空虚感の仕業なのだ。

では、この空虚感は、いつ、どうやって生まれたのか。
これが一番気になるところだろう。

こびり付いた空虚感は、自分が大切だと思っている人から、心を満たしてもらえるような関心を向けてもらわれなかった経験が、根を張っていることが多い。
愛されていることを実感したい時、助けを求め、守ってもらいたいと願っている時に、関心を向けてもらえず放置された体験なども含まれる。
例えば、横暴な父親に叱責され、怯えていても、母親は素知らぬ顔で助けてくれなかった、という経験を積んでいる場合もあるかもしれない。

また、手取り足取りなんでも親がかりで、自分の力で目標を達成させるという経験がない場合も、自信が持てず、どこか消極的になりがちで、生きることに怯えながら、空虚感を抱えていることもある。

子ども時代は、褒められることも大事だし、叱られることも大事なのだ。
何かあれば逃げ込める、いつでも守ってくれる人がいるという安心感は、お守りになる。
ところが、それだけではダメで、困難に立ち向かい、自分の力で乗り越える体験もまた、お守りになるのだ。

相手が子どもであれば、自信を持って、夫婦で「ほめる」「叱る」の役割を果たして欲しい。
もし、空虚感と闘っている大人だったら、究極の安心を手に入れることに集中しよう。

究極の安心感は、人とのつながりの中にある。
しらふでは、空虚感が襲うからといって、逃れるように刺激を求めるのではなく、安定した人とのつながりを構築し、そして、継続させることに集中するのだ。

そしてもう一つ。
自分の棚卸しをしてみるのもいい。
色眼鏡を外し、自分の育ちをめぐる、家族の歴史を紐解いて、人に語るのだ。
語って、語って、語り尽くす中で、泣くことができたら、過去と今の自分が一つに統合され、きっと新しい人生を歩み出せるはずだ。

大丈夫、私はそういう人をたくさん見てきているので、必ず何かが動き始める。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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