新しい意味を見出す
想定していなかったことが起こると、どう受け止めればいいか分からなくなる時があります。そんな時は「意味づけ」を意識してみるといいですよ。
自己反省の罠
よく起こりがちで、ドツボにハマりやすいのが「自己反省」です。
「自分が悪いから、こんな事態になってしまった」
「自分の至らなさが、失敗を招いたんだ」
といった、自己反省の罠にハマってしまうというもの、これは要注意です。
自己反省ができるということは、成熟への必須条件でもあるので、とても大切なものです。
自己反省が全くできない人もいますが、その場合『自己愛』という病を抱えていることがあり、むしろ『自己反省』の段階に進めずにいることが問題となります。
でも、行き過ぎた自己反省は、新たなデメリットをもたらします。過剰な自己反省の最大のデメリットとは「挑戦することを回避する」こと。
もう少し詳しく説明していきましょう。
行き過ぎた自己反省は、「これ以上周囲に迷惑をかけてはいけない」「自分には高望み過ぎる」という思考を作り出して、一歩を踏み出す勇気を奪っていきます。
まさに、失敗を怖がる以上に恐れて欲しいものなのですが、まんまとその罠にハマってしまうと、そのカラクリに全く気づくことができません。
その結果、経験値が狭まってしまう。これが一番怖いのです。
経験値が狭まれば、出来ることが増えていきませんから、"できる感"がしません。なので、更に挑戦することを避けてしまうという悪循環を容易に作り出します。
そうなると、人格の成熟も、奥行きも、広さも作り出せないということになる。これは、とてももったいないこと。
罪悪感とワンセット
では、なぜ人は「自己反省」にハマってしまうのでしょう。
ついつい、行き過ぎた自己反省にハマってしまう人は、自分でも気付かない「罪悪感」を持ち続けている可能性があります。いつの頃からか、よくない結果が起こると「罪悪感」を感じて、「自己反省」をするというサイクルを築き上げているのです。
つまり、無意識に心の中で「ごめんなさい」と謝る習慣を持ってしまっているのです。だから、新しいことにチャレンジすることに人一倍恐れるようになるのです。
私は、こういう人と出会うといつも思います。
「なんともったいないことを…」と。
自己反省ができるくらいですから、側から見ても謙虚で、穏やかで、とても素敵なものをたくさん持っているのに、ご自分ではその魅力にちっとも気づいていない。
世の中には、傲慢な人がいる一方で、謙虚さが行き過ぎてしまう人がいる。
本当に不思議なものです。
そして更に不思議なことに、この傲慢な人と、謙虚な人が、磁石で引き合うようにくっついてしまうことが意外と多いのです。そして、謙虚な人が持つ魅力を存分に生かせずに、傲慢な人たちにいいように利用されてしまう、ということがよく起こっているのです。
新しい意味づけで悪循環を断つ
このサイクルを断ちたいと思う人にお勧めなのが「新しい意味づけ」をすること。「想定外のことが起こった時」「よくない結果を招いた時」などは、特に意識してみてください。
新しい意味づけの一歩は、「何か意味がある」と声に出してみることから始まります。その意味とは「新しいことを学ぶため」かもしれないし、「勇気を手に入れるため」かもしれないし、「次に前進しろ」と教えるためかもしれません。
あなたが選ぶ意味づけは、どんな意味でも間違いではありません。
ただ、一つ言えるのは、放っておくと、いつもと同じように考え、いつもと同じような行動を選択してしまうということ。そのサイクルをまずは「断つ」ことが最初の一歩になりますので、これまで自動的に進めていた思考過程を変えることに挑戦してみるのです。
それだけ「罪悪感」→「自己反省」の罠から抜け出す事は、そう簡単ではないという事に気付いて欲しいのです。
この小さな挑戦は、後に大きな変化をもたらすようになります。
なぜなら「何の意味がある?」という問いかけは、自然と「自分はどうしたいの?」という問いにつながっているからです。
「罪悪感」→「自己反省」のサイクルを持つ人の目的は、その多くが「安心感」が欲しいというものです。でもよく考えると、ちっとも安心感に満たされていないことに気づかされるはず。
安心感とは、危険に対処できる力を持つことで高まります。そう❣️新しいやったことのないことに挑戦し、経験値を増やしていくことで、自己効力感を高め、さらに前進していくという喜びの中に、安心を生み出すサイクルが眠っているのです。ぜひ「新しい意味づけ」習慣を身につけて、真の安心感を手に入れていきましょう。
鶯千恭子(おうち きょうこ)
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