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成熟を拒否する人たち

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新書なのに付箋紙がいっぱい・・・(笑)
インパクトのあるタイトルですが、精神科医の先生が、急増する人格障害について丁寧に書いている、とても興味深い本です。
是非一度、手に取って読んでみると、人間関係の難しさを紐解くきっかけをくれるかもしれません。

いつも自分以外の誰かのせいにする人々

受け入れがたい現実や、思う通りに進まないことを、いつも自分以外の誰かのせいにする人がいたら、「万能感を失うことを恐れているんだ」と理解すると腑に落ちます。

万能感は、子どもなら誰もが持つ特徴で、自己反省や自己嫌悪とは無縁です。
子どもの場合、成長する中で「他人のせいばかりにしてはいけない」「自分の非も省みなければ」というレッスンをくり返していきます。
そうすることで、自己反省や自己嫌悪、罪悪感といった感情を体験し、謙虚さや他人への尊厳、感情をコントロールする力などを身につけ、大人の人格へと成長させていくそうです。

ところが、いろんな事情で上手にそのステップを踏めないまま大人になってしまうと、万能感はどんどん膨らんでいき、人間関係を不安定で危険なものにしていくそうです。
そのカラクリをわかりやすくお伝えしますね。

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万能感が肥大した大人は
「本当の自分はこんなんじゃない」
「もっとすごい能力を発揮するのが本当の自分だ」
と現実から目を逸らし、”イメージ上の自分”と”現実の自分”との間に、大きなギャップを生みます。
このギャップを受け入れることはとても難しく、どうするかというと、空想の中で万能感をどんどん膨らませて、対処しようとするそうです。

例えば、現実とかけ離れた壮大なテーマの話に周囲を引き込もうとしたり、自分が一番輝いていた頃の写真を周囲の目に触れるようにして、体型が変わり老いた今の姿は本当の自分ではないと目を背けたりします。ところが、思う通りにいかないことに遭遇したり、期待を外れた現実を目にする度に、強い不満を鬱積させるのです。
人間関係はいつも不安定で
「本当の自分はもっとすごいのに、現実はうまくいかない」
「こんなはずじゃなかったのに」
「上手くいかないのは周りの人たちのせいだ」
と他人に責任を転嫁させる「思考のパターン」を作りあげるようです。
他責が常態化した思考パターンを持つということは、いつも誰かを批判して生きるということ。
口を開けば「あの人が悪い」「この人のここが問題」と批判を連ね、自分を正当化する”思考の流れ”を作るのです。

それは、まるでこれ以上傷つかないように自分を必死に守っているかのよう。
つまり、強そうに見せて、それだけ傷つきやすさを抱えており、”万能感”という武器を磨き上げることで、自分を守っているのです。

弁に長けているのもこのタイプの人の特徴のようで、論理的に相手を打ち負かしてやる!と、いつも息を巻いているのです。
モンスターペアレント、モンスターペイシェントと呼ばれる人たちが”モンスター”になるカラクリなどは、その最たるものだといいます。

成熟拒否という病

このことを本書の中では「成熟への道のりを拒否する病」と述べています。
なるほど、面白い表現です。

見た目はちゃんとした大人で、難しいことや立派なことをたくさん口にするのに、思考パターンや生き方、人との関係の紡ぎ方が驚くほど幼ない。そんなことが本当にあるのでしょうか。
そもそも成熟とは、一体何を指すのでしょう。

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メラニー・クラインは、赤ちゃんの離乳のステップを紐解き、成熟への道のりをわかりやすく解説しています。

生後3〜4ヶ月の頃の赤ちゃんは、お母さんのおっぱいを「良いおっぱい」「悪いおっぱい」と、分裂したものとして認識しているといいます。
「良いおっぱい」→いつも自分の傍にいて自分を満たしてくれる存在
「悪いおっぱい」→自分から離れていき自分を欲求不満にさせる存在

この段階で心の成熟のステップが留まってしまうと、「悪いおっぱい」=「自分を満たしてくれない相手」に対して、サディスティックな破壊的衝動が起こります。そして、強い一体感を感じる相手が自分を満たしてくれないと、容赦無く激しい怒りをぶつけるのです。
ところが、相手に投げたはずの怒りがブーメランのように自分に返ってくるという「迫害不安」や「同該報酬」に怯え、戦闘体制をとって身構えるようになるそうです。
クラインは、この段階を「妄想-分裂態勢」とよんでいます。

この段階で成熟が留まっている人は、他人を「真っ白」か「真っ黒」にみる傾向が強いのかもしれません。
相手をよく知らないうちは「真っ白」に見え、理想的な人に出会えたとばかりに褒め称えますが、少しでも気に入らないところが出てくると「真っ黒」になり、罵倒してこき下ろしたり、人間関係を引き算で作っていくパターンを持つのです。確かに、これでは安定した関係を築くことはできません。

このパターンを持つ人の要因は、幼少期の母子関係に遡ることになります。どこか気を遣った、幼いながらに気遣う習慣を身につけており、大人になった今も実母には激しい一面は見せず、パートナーや子どもにだけ見せる、秘密の姿になるので、周囲は気付きにくい難しさを抱えます。これはDVの特徴と合致しますね。

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やがて、赤ちゃんは成長する中で、「良いおっぱい」と「悪いおっぱい」を両方併せ持つ、一つのまとまりのある存在が大好きなお母さんなんだという認識へと変化していくといわれていますが、その過程の中で、必ず通らなくてはいけない場面があります。それが「抑うつ態勢」という段階。
抑うつ態勢とは、良い対象に対して、憎しみや攻撃衝動を向けてしまうことによる「罪悪感」を覚えるという段階のことです。
つまり『申し訳ない』『悪いことをした』と罪悪感や後悔、悲哀の感情に打ちのめされるという体験です。
この痛みに耐えられない人は、自分にとって良い相手には愛情を向け、ひとたび悪い相手と見なせば攻撃を向けるという人間関係パターンを作っていくのです。
それでは安定した関係は築いていけず、自分も苦しいはずなのに、何故でしょう?
それは、感情を抑えきれずに怒りをぶつける方が、楽だからです。

本の中では、大の大人が「抑うつ態勢」に移行できず、「妄想−分裂態勢」に赤ちゃん返り(退行)している状態だと表現されています。
なるほど、これもお見事です。

確かに、人格の成熟した人に出会うと、たくさんの悲しみや後悔、申し訳ないという感情を幾重にも乗り越えたんだろうな・・・という奥行きを感じます。
その奥行きが、相手に安心感を与え、動じない包容力となって、その人の周りには絶えず人が集まってくるんだと紐解けるのです。

肥大した自己愛を持つ大人が増える時代

今の時代は、成熟することがとても難しいんだろうなと思います。
「快」を手に入れるものが溢れていて、「不快」なものを徹底して排除できる時代。
そんな時代の中では、親も「不快」な感情をどう取り扱えばいいか、子どもに教える力が、年齢相応に育っていかない。そんなリスクを背負った時代に私たちは生きているのかもしれません。
成熟を風呂敷に例えるなら、みんな同じ大きさの風呂敷を与えられ、努力によって、その大きさを如何様にも広げていく、この努力こそが成熟なんだろうと思います。
小さな風呂敷のままでは、包める「相手」や「出来事」には限界があります。
風呂敷を大きくするなら、クラインのいう「抑うつ態勢」への移行は避けられません。
頭を垂れる”謙虚さ”を、自分のどこがいけなかったのだろうと自分の非を真正面から見つめる本物の“勇気“を、早い段階から丁寧に育ててあげなければいけません。

それには
*立ちはだかる
*限界を提示する
*突き放す
といった、深い愛情に裏付けられた凛とした強さが求められるのです。子育て中であれば、2・3歳の自我の芽生える頃が最初の関門。
自信を持って、ちゃんと立ちはだかってあげる。そして、最後はしっかりと抱きしめてあげることが必要なのです。
これは、何も子どもにだけ必要な話ではありません。わがまま勝手で周りを困らせるお年寄りに対しても、権利主張を続け容赦ない非難を浴びせてくる保護者に対しても、「ダメなものはダメ」と、毅然と対峙する力を持たなけれないけない、こちら側の成熟の課題でもあるのです。

つくづく、私は「まだまだ未熟だ」と痛感する日々です。
受容することに特化した優しさだけで、自分ではそこそこ成熟できているのではと、思い違いしているところが多々あるからです。
でも、カラクリが解けていく度に、向かうべき道がはっきりと見えてくるので、迷いはなく、少しずつ強くなれている自分を実感することができます。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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