見出し画像

50代 自分で選ぶ人生にこそ価値がある

人生100年時代ともなれば、50代はちょうど折り返し地点。
しかも、時代はどんどん変化を続けており、価値観も、親世代である80、90代ではなかなか理解できない勢いで、変容し続けています。

50代ともなると、子どもである若者世代と関わりつつ、更に親の介護に関わるので、急速に変化している「時代」を肌で感じているはずです。

人によっては、時代に取り残されてく焦燥感にかられることもあるでしょう。
でも、焦らなくていいのです。
なんせ、まだ折り返しだから。
ただ、この時期の過ごし方で、残りの人生の豊かさが変わってくるのも事実です。

子どもが育って、ようやく自由な時間を手にできたところで、ふと我にかえり、年齢を意識するのが50代。

「何も積み上げてこなかった」と思うのか、「これからなんでも出来る!」と思うのか、それも自由に選べるのです。

自由に選べるのであれば、ぜひ自分に向き合い、自分のアイデンティティを問い直し、残りの人生を心豊かに生きて欲しいと思います。

アイデンティティが揺らぐ50代

画像3

30代までは、自分への否定的な感情や思いは、それほど経験しなくてもよかったはず。
命の時間は無限ではないとわかっていても、仕事も、子育ても、そして健康も、充実した日々を送っているので、不満はあっても、それなりに満足度が高いのです。

ところが、50代の節目で、多くの女性たちが気付くのです。
「これまでのアイデンティティでは通用しない」ということを。

子どもはどんどん自らを前進させ、時代の担い手になろうとしていく後ろ姿を見て、役割が終わったことを思い知らされるのです。
そして「自分の人生はこれでよかったのか」「本当に自分がやりたいことは何なのか」という自分への問い直しと、内省を深める段階に突入するのです。

この時に「早く孫をみたい」という女性たちを時々見かけますが、これは、内省することができずに、足踏みしている姿にも見えます。

「孫をみたい」という言葉の背後には、子育てから卒業できず、30代の頃のアイデンティティを引きずったまま、必要とされることにすがりついている、共依存のカラクリがこびりついているようにも見えます。
やはり、ここは踏ん張って、幾つになっても若い人たちの見本となる、人としての深さを追求して欲しいと思うのです。

人生の見直しと軌道修正

画像3

自分の人生はこれでよかったのか
これで満足して死ねるのか
本当にやりたいことは何なのか

まさに、アイデンティティが揺らいでいる女性たちがこれから歩むべき道を、少しでも照らすことができるなら、と思います。
参考にしていただければ嬉しいです。

揺らぎは再構築の前兆

まず、心の揺らぎは変化することを迫られている現象だ、と捉えてみてください。
今まで通りが通用しないからこそ、焦り、不安になり、そもそも自分は…という原点に立ち戻る必要が出てきており、次のステージに行きなさいと、人生から指し示されているのです。
まさに、軌道修正し、軌道転換させる時期を迎えているのです。

誰もが到達できるわけではない

ところが、誰もが次のステージに上がれるかというと、そうではありません。
ずっと不安定な状態に留まり続ける人もいますし、自分探究を途中で放棄してしまい、人生後半の将来の展望を見出せないまま、人生を終わる人もいます。

「自分探しだなんて、思春期でもあるまいし」
と思っている人にも、子どもの巣立ちや、からだの老化など、いろんな出来事が襲ってきます。
実は、それが自分を問い直すきっかけでもあるのに、せっかくのチャンスを生かすことができず、自分の人生を振り返ったり、自分を見つめ直す自己探究を行わないまま、ごくごく浅いレベルで終えてしまう場合、心の発達もそれなりで、終わりを告げることになるのです。

関係性を豊かにする

自分を見つめることの他に、50代がやらなければならないことがあります。
それは「関係性」への問いかけです。

自分は誰の役に立つのか
自分は誰のために生きようと思うのか

「自分が満たされたい」という、幼い段階に別れを告げていなければ、豊かな関係性を手に入れることはできません。
ある種の、自己探究の達成を果たしていなければ、相変わらず自分探しの晩年になってしまうのです。

この年代の人を見ておわかりの通り、自分以外の、誰かの成長を心から願い、労力を惜しまず貢献していきたいという、「他人の成長」や「他人の自己実現」への援助ができる人は、ごく限られます。
それは、中年期や老年期の人たちの、心の発達が止まってしまっていることが原因かもしれません。

50代の課題は「成熟を目指す」こと

画像3

アイデンティティが揺らいで、悶々としている段階にいる人は、ぜひ自分と向き合い続け、内省力を高めてください。
簡単に手放さず、浅い自己探究のまま終わらせないことです。
飛躍する時は、かがむ必要があるのです。
必ず道は開ける時がきますので、あきらめないで欲しいのです。
今、その真っ只中にいる方がいれば、以下のことを参考にしてみてください。

感情と理屈を分ける

不安や葛藤を抱え、強いストレス下に置かれていても、上手に対処できる人は、決まって「感情」と「理屈」を分けることができます。
そういう人は、見ていても問題が起こることが少ないし、からだのあちこちが痛むなどの症状に襲われることも少ないです。

この二つが分けられていない、ごちゃ混ぜな状態の中にいると、決まって「感情」に支配された状況下に置かれてしまいます。
なので冷静に、言葉を用いて、理屈で心の中を整理整頓することをお勧めします。
例えば、日記を書いたり、セミナーやワークショップに参加してみるというのもいいですね。(いつかそんな場を作りたいというのが夢です)
独りよがりにならないためにも、内省したらアウトプットして、いろんな人と共有してみるのがいいです。
いずれにせよ、言葉にできるということは、心の整理が進んでいるという、一つの証になると思います。

両親間の葛藤には距離を置く

そしてもう一つ、実家との心の整理整頓です。
自分が育った原家族との関係は、自分の自己確立に大きな影響を与えていることが理解できれば、心の整理がグングン進みます。

親の介護の問題が生じるようになると、それまで距離を置いていたのに、両親の関係に巻き込まれてしてまう、ということも多いです。
両親(つまり夫婦)の間で、お互いを思いやる温かい関係がないと、どちらかの強い感情に引っ張られてしまい、振り回されるのです。
そして、関わることに強いストレスを抱えたり、自分が冷酷な人間なのではないかと罪悪感に襲われたり、とにかくジレンマを抱えることになるのです。

この葛藤状態を乗り越えるためには、まず「自分の人生は誰のものでもない、自分のものだ」「自分の責任で生きる」という、強い確信を持つことが必須です。

親とは違う、切り離された存在が自分であり、親にも自分の責任をちゃんと負ってもらう、という心の整理ができるか否かが、葛藤状態を乗り越えるためには欠かせません。
憎しみが未解決なまま、親の世話をしなければならないという強烈なストレス下にいる場合は、特に親と自分の心の融合を一旦は切り離す【手を切る】ことが必要です。

親と対等な心の関係を目指す

親に心を支配されてきたと感じている人が、やっと親と心の距離を置くことができたとしても、まだやり残していることがあります。
それは、親イメージの修正と和解です。

親を一人の人として眺めるのです。
そして、苦しみ、悲しみ、痛みを背負い生きてきた弱い人であり、それでも逃げずに生きてきた強い人であり、人としての優しさやあたたかさを持つ人でもあった、と捉えられるようになることがゴールです。

それは、親との別れであり、子どもとしての自分との別れであり、そして、新しい「人」としての親との再会であり、新しい自分の発見でもあるのです。

いつか中年期〜老年期に向けた「人生の仕上げ方」「人生の終い方」を学ぶ場を作っていきたい、というのが夢です。

鶯千恭子(おうち きょうこ)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?