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仕事への向き合い方なんてそんな大層なことでもないけど。

大変久しぶりにnoteを開いた。

一昨年の6月、今の職場に転職してきたばかりの頃の記事を読み返して、今では随分変わったなあと思ったので生活の変化について綴ってみようと思う。

仕事面

一昨年は完全に社内ニートだったが、去年は新しい仕事が舞い込んできてそれなりに働いていた。

月に3日ほどプチ出張をして、1日に怒涛の30連続面談をこなし、その後のフォローメールを送りまくる日々。慣れない業務なので初めての業務を1から組み立てるのはまあまあ大変だった。

それでも残業は一度もしていないし昼休みは1時間以上とっているしで以前の職場に比べれば暇な部類に入るだろう。

暇にも関わらず、心のしんどさはまだ残っていた。残っていたと言うより、別のしんどさに変わった。

私にとって初対面の人と話すことは苦痛でしかない。それでもなんとかかんとか乗り越えてきたのだが、しんどい気持ちになったのは自分の苦手な事をやっているからということだけではなかった。

もうひとつのしんどさの原因は、社内ニートに慣れきった同僚との関わり方だった。

私たちは仕事がほとんどない時期に入社して1年を過ごし、2年目にして新しい仕事に取り組み始めた訳だが、やはり暇で自由な生活に慣れてしまうとちょっとした仕事でも面倒に感じてしまい、かなり不平不満の多い日々となってしまった。

私はどちらかというとやるべき事は仕方なくやるか、どうしてもやりたくなければテキトーに力を抜いて済ませてしまうか、最悪やらないのどれかかなのだが、同僚は全てに文句を言いながら全てを完璧に仕上げるタイプだった。

これは社内ニート生活では見えてこなかった部分なので、私は困惑した。

文句を言うならやらなければいいし、やるなら文句を言わずにやればいいと思ってしまった。

でもこれは、我慢を美徳とする文化に通ずるものがあったような気がしている。

同僚は文句を言ってストレス発散しながらも、成果はきっちりあげるタイプであり、文句を言わなかっとしてもやりたくないことはテキトーに、嫌々ながら我慢してそれなりのものに仕上げてしまう私なんかより何倍も優秀なのだ。

私は最初それを理解できず、ただ文句ばかり言われて不快だなあとさえ思ってしまっていた。

私が文句がなかった訳ではなく、進んで仕事がしたいわけでもなく、私も彼と同じように仕事が面倒だった。でも、文句を言ってはいけないと思っていた。仕事を進めることよりも、文句を言わないことの方が大事だと思ってしまっていた。文句を言わなければ、仕事はそれなりでいいとさえ。

でも、お客さんからすれば面と向かって文句を言われる訳ではないので、客に対してどんなアウトプットをされているかが大事なのであって、裏で文句を我慢してアウトプットはそれなりよりも、裏で文句言い放題だけど客への対応がピカイチの方が評価は高いわけだ。

そんなことにも気づかず、ただ自分の不満は溜め込み、嫌なものは嫌だからとそれなりで済ませてきた自分って、社会人としては世渡りヘタクソだなあと思った。

一方で、仕事は仕事なのだから淡々とこなそうよ、いちいち不満言ってたらキリがないし不満を言ったからと言ってどうこうなるもんじゃないよ、という気持ちも残っていたり。

ときどき仕事はめちゃくちゃできるんだけど当たりが強いみたいな人いるじゃないですか。あれのマイルド版だったのかもね。

自分の中にストレスを溜め込まないで発散して、そこにできた余裕を仕事に注ぎ込むっていうタイプなのかもね。

ストレス発散の仕方さえ身につければ、周りに不快感や恐怖感を与えず仕事ができるようになるのかもしれない。という気づきに着地して今回のお話は終わりです。

次回は家族関係の変化について書きたいな。

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