中卒として生きていく

つい最近まで、人は大卒にならないと死ぬのだと思っていた。


この世に大学に行かない人がいるなんて知らなかった。

まるでおとぎ話のような存在で、外人に「サムライはどこにいますか?」と言われたときのような気持ちで過ごしてきた。


そんな私はストレス過多で、鬱病と統合失調症を発症し高校を中退した。

それから更に二回、別の学校に入れられたが、統合失調症が悪化して中退した。


はじめは絶望だった。

大学を卒業して大企業に務めることが全て、という世界で生きてきたから、肩書きが中卒になったことで、世界から拒絶されたような気がしたのだ。

三つ目の高校を去るとき、「あんたはこれから、世界で生きていけないよ」と事務のおばさんに言われた。


大卒の世界が普通の世界ならば、もう闇の世界で生きてやる!とグレて色々やったが、満足したのでフリーターとして真面目に働くことにした。

そこで気が付いたのだ、「中卒でも、今生きてる」と。

職を選ばなければ学歴なんて関係ない、真面目に働けばどこでだって働けるのだ。

AIに仕事を取られるとか、今の時代は大卒でないと生きていけないとか、そんな話を散々聞くけれど、人が社会という集団を持続させていくうえで、絶対に「仕事」は存在し続けるものである。


フリーターとして働いていくなかで、俗に言うヤンキーとか、暴走族(にいた人)とか、その他にも、私が昔いた世界では「底辺」と呼ばれる人たちと沢山関わることがあった。

新鮮だった。

関わりが無かったからというのはもちろん、今の自分に満足している、人生を楽しんでいるその姿勢に感激したのだ。

肩書きや社会に縛られない生き方は、全ての人々にとっての理想の形であった。


他にも色んな人と出会った。一人一人の様々な生き方を垣間見て、世界はこんなにも広かったんだということに気付かされた。

世界は広いことを知り、自分の無知を知った。

「もっと沢山知りたい、生きたい!」

こうして生きるエネルギーを得て、私は自分の力で心の病を完治したのだった。(薬は、統合失調症が治らないまま無理矢理断薬させられたのだが、その話はまた改めて)



フリーター、「誰にでもできる仕事」は楽しいか、と聞かれると正直微妙なところである。

誰にでもできるから給料は安く、やりがいもあまりない。

でも生きてる、生きていけるならそれだけで充分なのだ。

だから私は、中卒で生きていくことに決めた。


本当のことをいうと、大学に行きたくても行けない事情というのもある。

それと、私が今まで暮らしていた閉ざされた社会に対する反骨心というのもある。


「最大の復讐とは、自分が幸せになることである」

という言葉がある。

復讐とは、過去にけじめをつける意味合いを持つ。

私は、苦しかった過去そのものに復讐をするのだ。

肩書きや社会的評価に左右されない、私だけの幸せを築いていくのだ。


中卒の私は底辺なのだろうか?

いいや。きっと私は、私なんだ。


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