欲望の最果て
人間の欲は限りなし。
人生の悩みも限りなし。
悩みとは、自分の人生を思うままにしたいという気が起こしている。そして、その悩みは欲が起こしている。
何かに満足すると、次はもっとを求めるようになる。
たとえば私は一人で過ごすことが多いが、一人の時間に満足すると、今度は友だちといる時間がもっと欲しくなる。その次は恋人が欲しくなって、その次は家庭の幸福を知りたくなる。
また、私は自動車免許を持っているが、車の運転に慣れてくると、今度は車でどこまでも行きたくなる、その次は車を所有したくなる。
よく、「身の丈にあった幸せを求めよう」ということを聞く。たとえばあれもこれも欲しいと借金するのではなく、今あるお金で買える分だけを求めようということ。極端に言うと、家も車も一括で買えない低所得者は、安いアパートでほどほどの生活をして家庭も持たないほうが幸せ、ということになる。
でも、人間の魅力である底力というのは、限界を越えようとする行為、身の丈以上を求めることにあるのではとも感じている。
果たして欲はどこまで叶えていいのか、どこまで持っていいものなのだろうか。
虚無感の正体は、しっくりこない感じのことである。人生の中の違和感が虚無感になって、それをいかに納得していくかが人生である。
人間の欲もまた、それと同じく「しっくりこない感じ」のことだと感じる。
全ての生き物は、イデア(究極の理想)を目指して生を燃やし、死んでそれを叶えるのかなと思う。
人間の欲は限りなく、悩みもまた限りない。
悩みたくなければ、僧侶のように精進料理を食べ、無欲を極めることが幸せの道であるとも考えたが、欲を捨てるのは自分を捨てるようなことでもある気がする。
現に、私は今「世間を自分に合わせて変えていくのではなく、変わる世間を受け入れ続ける」だけの生活をしていて、悩みも苦しみもないけれど、欲が無い分未来も見えないと感じているのである。
そこで、よく相談しているとある方に聞いてみた。
出来ることであるなら、全部叶えていいのです。
また、その欲が人を喜ばせる結果となるなら最高です。
欲は、成長や進化のためにあるものだと感じます。
より良い暮らしが出来るか。
またその欲を叶えた自分が幸せそうなイメージができるかを基準になさると良いですよ。
欲は希望にもなりますからね。
「欲は希望にもなる」、この言葉にハッとした。
欲を持つことを怖がっていたのだが、欲を持たないことはすなわち希望を捨てることなのだ。
たとえば、自分が持つ欲について考えてみた。
友だちがほしい、人間関係を築きたいというのは、自身の人生の信頼のためと、誰かの笑顔が見たかったから。
車が欲しい、どこまでも行きたいというのは、それを使って誰かと感動を共有したかったから。
とりあえずこの二つは、自分も周りも幸せにするかもしれないから、持っていてもいいのかもしれない。
思えば、僧侶の行う修行というのも欲を昇華したいという欲であり、精進料理も生き物を殺したくないという欲が源である。
冒頭で、「悩みとは、自分の人生を思うままにしたいという気が起こしている。そして、その悩みは欲が起こしている。」と書いた。
悩みとは、すなわち苦しみでもある。
生きる事は素晴らしい。
苦しむ事だってそれがあるから「楽」が引き立つ。
だから「心地良さ」や「楽」を求める心は「苦しみ」にも耐えうる(希望になる)のだろう。
私もまず、人間関係の欲から少しずつ叶えてみたいと思う。
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