労働者の嘆き

吾輩は無職である。

仕事はまだない。

理想的な仕事とはなにかとんと見当がつかぬ。


フリーペーパーにもない、インデ○ードにもない、ハローワークにもない。コロナの影響で数少ない学歴不問の仕事がもっと無かった。働くとはなにか、居心地のよい職場とはなにか「あーもう分からん分からん!」という感じにパニックになってしまったのだが、頼りにしている人に相談したら、「分からないときは分からないままで良い。待つことを楽しむこと」と言われたので、じっとしていたらなんとなく答えが見えてきた。

一介の労働者としての素直な心持ちを、つらつら述べていきたいと思う。



つい先日、三井住友銀行と警視庁のソースコードをGitHubに公開した人が、20年エンジニアとして45歳まで働いたのに年収300万円に加え借金を抱えていたということが話題になったが、不当な扱いに耐え搾取され続ける人たちというのは日本だけでもごまんといる。

私も前職の飲食業がブラックで「搾取されるために働くくらいならホームレスになって野垂れ死にするほうがマシだ」とハローワークの相談員に言ったら、「飲食がブラックなのは有名だし当たり前だよね」と呆れた顔をされた。

「これだからお役所の人間はよォ!」とダイヤモンドより硬い拳を机の下でこさえていたのは置いておいて、別に飲食がやりたかった訳ではなくて、学歴の無い人間にはブラックな職しか残されていなくて、その中から選んだのがたまたま飲食だったというだけだ。

小学生の頃両親から「将来楽をしたかったら、今死ぬ気で勉強しなさい」と言われていたが、学歴を手に入れられなかった以上ブラック企業で働くのは当たり前だとも言えるけれど、「労働基準法を守っている環境で働きたい、楽しく働きたい」というのはそんなにも贅沢なことなのだろうか?


昔の海外の貴族の夫人は自分の貞操を守るために(自決するために)短剣を常に持ち歩いていたし、太平洋戦争時の日本兵は捕虜になるのを恥だ自決を名誉だと考えていたし、私は自分自身を守るためにブラック企業で自分を損なうくらいならホームレスになって野垂れ死にするほうがマシだと思っているが、これは果たして異端な考え方だろうか?

弱い人は押しに負けて詐欺師に契約させられてしまうし、弱い人は付け入られて利用されてしまうし、弱い人は搾取されて自分を損なってしまう。

自分らしさを捨て"みんなと同じ"になって斜めから物事をみて酒と煙草に手を出しすれた性格になって、歳を重ねては傷を持ち熟れる前に腐るようなそんな人生、そんな人生でいいのだろうか?

惰性を積み重ねているうちに考えることを諦めて、見せかけの安心感の中であらゆる不幸や不満に耐えて我慢して、幸せを手に入れることを諦めて目が覚めたときには「あのときこうすればよかった」と後悔しながら死んでいくような孤独な一生、そんな一生でいいのだろうか?

「続けていれば明日も仕事があるから」「とりあえず今日の食い扶持は手に入るし、明日もきっと同じだから」という見せかけの安心感に騙されて、自分の本性を裏切りながら生きていくというのは、見た目は健康だけど煙草で実はボロボロになっている肺とか、見た目は綺麗だけど違法建築だったレ○パレスとかと同じである。


商売人として生きていくならば、自分が心から良いと思うものを相手のために売りたいし、他のどんな仕事でも誰かのため、誰かの笑顔のために私は働きたい。

騙すような商売はしたくないし、傷つけたり悲しませるようなことはしたくない。それだけなのに、求めすぎなのだろうか?

売り上げが伸びるとか見せかけの成長に偽の安心感で依存して、いつの間にか奪い合いが当たり前の世界になってしまったのではないか?

コンビニで働いていたときも底上げした騙しているような商品を売るのが心苦しかったし、飲食店で働いているときも不衛生で自信をもって商品を提供できないことが辛かったし、胸を痛めてばかりでもはや働くことそのものが苦しい。

他人から盗むようにして得た金で納税してその日暮らしの食べ物を手に入れて手元には罪悪感だけが残って。もう、私には働くとはなんなのかわからない。


「じゃあ自分で起業すればいいじゃん。それならあなたの理想を実現して見せてよ」とよく言われるが、私は商売の中で自己実現していく気は更々無くて本当は文字書きで食べていきたいし、自分の産み出した文章で社会貢献していきたい。

が、今のところ有償の文字書きの仕事はないし無償の仕事もないので、こうしてnoteに書き連ねながら現実に擦り合わせて他所で自分の食い扶持を稼いでいる訳である。


すれた性格の人というのは、本心では傷つきやすい性格をカバーして生き残るためにがむしゃらに頑張っている本来素直で優しい人だ。

しかし大人になると変われないというが、すれて腐って改心するには今世ではもう手遅れという人が世の中には沢山いる。本当は、人生は自分で作ることが出来て、いつでも変われるしいつだって幸せになっていいのに。

私は自分の文章の中で大きなことを言って「救済」を目指しているかのように見えるかもしれないが、そんなことは毛頭なく全てをそれぞれ自身の生命力に委ねており、変われない人は来世で頑張ってほしいと思っている。

それは、全ての生き物の魂は輪廻転生するのが当たり前だと考えており、たかだか数十年の枠に囚われず大きな目で物事を見ているからである。



ということで、私は万国の労働者たちが立ち上がりブラック企業を根絶し、全ての人が自分のため、そして誰かのために楽しく働けることを願っているが、今世では叶えることは難しそうだし、私はこれからもブラック企業の下で仕方なく働き続けるかもしれない。

今はまだ、今の搾取がはびこるこの環境の中で納得して働くということがどういうことか分からないし、自分が自分のためにできることは何か、自分が社会のためにできることは何かということも分からぬ。

そして月日が流れ吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

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