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石川県在住、28歳、男。大相撲にハマる。


二階の自室から見える電線に留まったスズメとおしゃべりをしていると、祖母の叫び声が聞こえてきたので「なんだ、時間か」と思って窓を閉めた。

「それいけい! やっつけろい!」

祖母のその叫びは、家中に響きわたっていた。

家中に響き渡って、あまねく柱が軋み、窓という窓が震えていた。

僕は茶の間にはいっていって、腰を下ろした。

そのあいだ、すでにそこにいた祖母は、僕に一瞥もくれなかった。

祖母の視線を釘付けにしていたもの。

それは、男たちの激しい肉のぶつかりあいだった。


2024年、春。

僕は石川県の田舎で、なにもない時間を埋めるかのように大相撲中継にのめり込んでいた。

きっかけは、夕方になると祖母が必ず流すその中継をなんとなく眺めていたことだった。

子供の頃の遠い記憶にも、そんなふうに取組を観ながら、手に汗握る祖母の姿がはっきりと残っていた。

「ほら、あんたも観とらんかいね!」

そう言われて、首根っこを掴まれて、ただテレビの前に座らされても、当時の僕は『こんなふとっちょより、ウルトラマンとカイジュウのたたかいのほうがかっこよくて、おもしろいや!』くらいにしか思ってこなかった。

アヤト少年は子供の頃から、太りやすい体質をしていた。

体型のことでからかわれたことも、一度や二度ではない。

もしかしたらそのことがコンプレックスとなって、力士たちの生き様から目を背けさせていたのかもしれなかった。

とんでもない。
今なら、そう思えた。

観始めてみると相撲、めちゃくちゃおもしろかったし、力士たちはとてつもなくかっこよかった。


僕は相撲観戦初心者ながら、そのおもしろさの真髄を少しずつ理解し始めていた。

まず感じたのは、相撲という競技自体のエンタメ性だった。

実際に中継を観ていると、正味「観なくてもいいのでは?」という時間がある。

具体的に言えば、力士たちが出席確認のために名前を高らかに呼び上げられたり、土俵に下味をつけるために何度も塩をまいたりする儀礼的時間。

「待ったなし」という音声がテレビから聞こえてくるまで、呆けていることもしばしば。

しかし今では次第に「それは欠かせない手順なのだ」と思うようになった。

この時間があるからこそ、力士同士が顔をあわせたときに緊張が生まれるのであり、勝敗が決したときにカタルシスが生まれるのだろう。

なんの下ごしらえもしていないお肉が、なんか美味しくない、みたいな。

しかもその儀礼的時間にしても、そのあいだで明日以降の予定や、もう終わってしまった取組の結果など、気になる情報を伝えてくれる。

なかでも気になるのは、対戦カードに箔をつけるような実況解説だった。

この力士とこの力士は、兄弟弟子。

この力士とこの力士は、大学の同級生。

この力士とこの力士は、二年ぶりの対戦。

この力士とこの力士は、かつて主人公の敵として立ちはだかった者同士。

この力士とこの力士は、前日の夜、酒の席でどちらが勝つか打ち合わせをしている。

この力士とこの力士は、しかし金や地位などにこだわることなく、自分の力で正々堂々、相手と向き合いたい、と腹にイチモツを抱えている。等々。

それらの情報は、ただ漫然とニュースで取組結果を知る以上のなにかを、僕たち視聴者にもたらしてくれている気がした。


そしてそれはきっと力士側も、織り込み済みであるのかもしれない。

その証拠に、彼らは与えられた制限時間を毎度のように使い切る。

たぶん、相撲部屋では稽古の合間に、演技指導が行われているはずだった。

たぶん、『観客をはらはらさせるための「仕切り直し」入門』という教科書をみんなで順番にまわし読みしているはずだった。

たぶん、部屋のどこかにバレリーナが使うような壁一面の大きな鏡があって、そこで筋肉の動かし方だとか、恐い表情のつくり方だとか、自分が一番大きく見える角度だとかをみんなで学ぶ時間が設けられていることに、疑いの余地はなかった。

そういった事前の積み重ねが集約される瞬間。

一対一の真剣勝負。

その領域には画面越しでも伝わる、血の滾るものがあった。

それはとてもエキサイティングな衝撃だった。

これが、たとえば力士が10対10で、着替えが終わった者から順に会場入りし、広いフィールドでライフルをたずさえ駆け回るという競技だった場合、ここまでのエキサイティングは期待できないこと、明白なのだった。

それはそれで観てみたいけれど、明白なのだった。


この記事を書いている現在、5月某日。

普段づかいのクローゼットには半袖が増え始め、外に出れば視界の端を親ツバメがせわしなく飛び回る。

そんななか、大相撲は夏場所をむかえていた。

僕にとって、初日から観戦するはじめての場所。

ひと月前あたりから、祖母と毎日カレンダーを睨んでは、ああでもないこうでもない言いながら、指折り数えて開幕を待った。


そのまえの春場所は3月だった。

この場所、ご存知の方も多いと思うが、とんでもないことが起きていた。

新入幕の力士が優勝。

そのビッグイベントに相撲ファンたちは、沸き立っていたに違いない。

僕のような浅い者ですら、それがなんとなく歴史に残るようなことである、というのを察することができた。

その快挙、じつに110年ぶりだという。

もはや、記録ではなく記憶として覚えている人はいないのではないか、というほどの遠い過去。

その熱狂の中心に『尊富士』と『大の里』という二人の新入幕若手力士がいた。

『大の里』という力士は、僕と同郷である石川県出身の力士だった。

優勝争いを演じた、その二人の対戦も組まれた。

しかし『大の里』は惜しくも『尊富士』に敗れてしまったが、その一番の盛り上がりは、一生忘れられそうにない

うっかり忘れそうになったら、動画みて思い出そうと思う。


このころ『大の里』に至っては、出世が早すぎて、マゲも結えない髪の長さだった。

周りの力士たちが立派なマゲ姿で土俵入りするなかに、一人だけオールバックの『ざんばら髪』というスタイル。

それはランドセルで高校に通う天才小学生のような目の惹き方をしていた。

もはや教室でひとりだけシャープペンシルではなく、鉛筆で授業を受けているような目立ちようだった。

ひとりだけ弁当や購買のパンなどではなく、給食だった。

ひとりだけ隠し持っているのは、悪いおにいさんに買ってもらったタバコではなく、近所の駄菓子屋でおかあさんに買ってもらったココアシガレットだった。

そんな彼に僕はどこかシンパシーを感じざるを得なかった。

飛び級なんかしたこともないけれど、を得なかった。


やはり相撲を観るうえで、郷土力士という存在は欠かせないのだな、と思った。

幸い石川県には『大の里』をはじめ、『輝』『遠藤』といった並々ならぬ力士たちがいた。

雨が多い気候なので、室内での稽古が捗るのだろうか、などと想像した。

先述の『尊富士』は青森県出身だった。

どちらも雪国なので、雪かきが足腰を鍛えるのだろうか、などと想像した。

そんな郷土力士が一人でもいれば、そこから他の力士たちの関係性も伺い知ることができるようになる。

たとえば、この『尊富士』は春場所を13勝2敗という超好成績で優勝しているのだが、そこに土をつけた力士のうちのひとりが『朝乃山』という富山県出身の力士だった。

誤解を恐れずにいうと、富山県は四捨五入すれば、だいたい石川県になる。

その証拠に、ニュースでも彼は郷土力士として取り上げられていた。

『朝乃山』が勝ったとき、その日『尊富士』が白星をあげてしまえば、優勝が確定してしまう、という最終局面だった。

そんな大一番を、『朝乃山』は見事に制してみせたのだ。

僕のなかに、郷土愛由来の嬉しさがこみ上げた。

富山県の記憶はほとんどないに等しいけれど、まるで自分が歓声とどよめきを浴び、自分が賞金の束を受け取ったような気持ちになった。

僕のなかの富山県の構成要素は『黒部ダム』と『白海老』のみだったけれど、まるで自分が控室に戻り、着替えを済ませ、スマホにあいうえお順に登録してある知り合いすべてに「あの『尊富士』に勝ったよ!」という定型文をコピーペーストしたいような気持ちになったのだった。


相撲には『番付』という見どころもあった。

以前は『横綱』や『関取』という単語を耳にしても、僕の中で浮かび上がるのは、おしなべて鏡餅のようなただの力士のシルエットのみだった。

しかし次第に、力士たちには『番付』と呼ばれる称号の位置づけを示すものがあり、各々がランク付けされていることを知った。

近づいてよくみてみると、力士のシルエットだと思っていた鏡餅は、角界のカーストを示すピラミッドであることがわかった。

その段になると、観戦にもいっそう熱がこもる。

たとえば、今までなんとなく観ていた知らない力士の一番が、実は『番付』が大きく離れた、いうなれば1段目の餅がみかんに挑むくらい挑戦的な取組であることがわかったり。

逆に『番付』が低い力士同士でも、名勝負が生まれたり。

特に『大関』という四天王的な立ち位置の上位力士が、倒した格下の相手を助け起こしたり、背中を叩いていたりすると、少年漫画的な熱いなにかを感じられた。

おそらく今後、もっと凶悪な力士が現れたときにやむを得ず共闘する展開が考えられた。

連携攻撃や合体技、奥義伝授といった派手な演出にも、期待がもてた。

相撲、観れば観るほど、奥が深いのだった。


それに実際、相撲はただおもしろいだけでなく、役立つこともあることがわかってきた。

近ごろ、ニュースではクマの出没増加がよく取り上げられている。

よく、野鳥観察がてら山の方に足を運ぶ僕も、他人事ではない。

もしも、クマに遭遇してしまったら。

そう考えるとつい家から出ることが、ためらわれた。

決して、歩くのが億劫だ、とかいうことではまったくなく、ためらわれた。

そんなとき、相撲が背中を押してくれた。

仮に、大相撲中継未視聴であれば、なすすべなくクマの餌食になってしまうであろう困難な局面に陥ったとする。

そんなとき、相撲ファンであれば『右四つ』『左四つ』という知識を利用して、クマのまわしをどう取るか、という刹那の駆け引きができるようになる。

『肩すかし』や『送りだし』といった技の知識があれば、相手の力加減次第で、とっさにその技がくりだせるということも考えられた。

体の小さな力士が、大きな力士に勝利した取組を視聴済みのため、睨みあったクマと絶望的な体格差があっても、自信を喪失しないような気がした。

他にも『序の口』や『腰砕け』といった相撲発祥の語彙が増えたり、年配の方々との話題に事欠かないというメリットもあるけれど、どれも些細なもので、やはり最も役に立つのは、身を守ることができる、対クマ戦の心得だろうと思った。


テレビ脇の置き時計は、午後6時になろうとしていた。

今日も最後の取組である、『結びの一番』が終わる。

毎日のようにくりかえしている「『大の里』がいかにすごい力士か」という話題で祖母とひとしきり盛り上がったあと、僕はシャワーを浴びるために風呂場に向かった。

服を脱いで、裸になる。

浴室の鏡に、太っているとも痩せているとも言えない男の姿。

次の名古屋場所は7月にあるそうだ。

夕飯はいつもよりたくさん食べることにしよう、と思った。


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